01 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(1)

a
 

 右の拳──中指の関節に〈良い感じのクシャ〉が来た。良かった。当たった!と思った途端、後頭部が派手な音をたて、衝撃と目眩(めまい)でおれはつんのめった。背中をどやされ、痛みに転がった。潰された鼻っ柱を引っ張り出そうと半ベソ掻きながら摘まんでいる奴と、更にスコップを振り下ろそうとしている奴が同時に見えた。
 スコップ野郎の股座(またぐら)を、蛇を踏む気持ちで思い切り蹴り上げる。〈さぬきっ!〉と奴は苦悶の声を上げ、スコップを取り落とす。四つん()ってそれを拾い、背中に叩き込んでやる。〈いわさきっ!〉背中を派手に()()らし奴は苗字のような音を吐いて崩れた。
 おれはまだ自分の鼻を(いじ)くって、ベソついてる奴に近づくと一度、横っ面を張り倒してから鼻の頭を掴み、力一杯引き抜く。
〈ぎひぃぃ!〉
 奴は歯の隙間から目一杯空気を吐き出し、ぶるぶる震えて離れ、目をゴシゴシやった。
「鼻の痛みは吹っ飛んだか!」
「え?」
「え、じゃねえ!鼻だよ!鼻!」
「ああ、鼻……」
「おれが顔の中におっぺした鼻っ柱(やつ)を、おれが引き戻してやった。ありがたく思え」
「あ、ああ……ほんどだ。ありがとうごじゃり……」
「一体何だって、こんなことするんだ。おまえら誰だ?」
「か、賭けだったのです」
「かけ?なんの?」
「あ、あんたは酷く醜いからきっと根性もないんだってキミちゃんが云ったんです。俺らみんなで呑んでて、凄く呑んでて。だから、そうだ!ってことにすぐなって……それで殴りに来たんです。でも違っちゃった。あんた、つおいもん」
「おれはあの酒場に今夜初めて行ったんだぞ。それがどうしてそんなことになるんだ。おれはおまえもそのキミちゃんとかも耳糞ほども知りゃしない。見た憶えもねえ」
「でも俺たちはアンタを見たよ。あの酒場の全員があんたを見た。なにしろあんたは身の毛がよだつほど醜いから」
「ほっといてくれ」
「いやあ、そりゃそうなんだけどよ~。仕方ねえよ」
 下の方から(うめ)き声がした。スコップの奴だった。
「なんだと!」
「だっ、だってあんた本当に醜いからなあ。まるで掻き回した糠味噌(ぬかみそ)だ。そんな顔を見たら誰だって殴ったり、莫迦(ばか)にしたりしたくなる。あんただってそんな顔じゃなくて、そんな顔の奴を見たらきっと殴りつけたり唾を吐きかけたに違いねえよ。それが人間ってもんだよ。人情ってもんだよ」
「そうですよ、旦那。とにかく旦那の顔は溶けた蝋燭(ろうそく)の消し(くず)以下ですからねえ。ミキサーに掛けられた馬の肛門や駱駝(らくだ)(こぶ)の中身のほうがまだマシってぐらいですから……」
「それを云うなら消しゴムの(かす)だろう。(いや)、地下足袋で踏ん付けた糞だ」
「ああ、それそれ。あははは……」
「おまえら……」
 おれが拳を振り上げると腰砕けた鼻折れがスコップの横に尻餅をついた。
「だ!だって!お、俺は嘘は(つい)いてないもんねぇ!」
「そうだそうだ!殴ったのは悪かったけど、あんたが醜いのは本当だ!ほんとだ!」
 奴らは更にどやされる予感に怯えながら叫び続けた。
「醜いのは本当だ!俺たちは嘘は云ってない!」
「黙れ!だからって、そんなことを面と向かって云うのはおかしいだろう!」
 すると奴らは腹を抱えて笑い出した。
「なんだ?なにがおかしい!」
 おれの声にふたりはよろよろと立ち上がった。
「ほ、ほんとのことを云って何が悪いんだい?」
「そ、そうだぜ。あんた、俺たちに嘘を吐けと云うのかよ。そんな権利がその顔のどこにある!」
「はあ?」
「だ、第一、そんな御託(ごたく)は人間様の世界で使うもんよ。な、なんだその面ぁ、まるで化け物提灯(ぢょうちん)じゃねえかよ。おまえみたいな面は正直、まともな人間にゃ虫唾(むしず)迷惑なんだよ!」スコップが叫んだ。
 おれはスコップを振り上げた。
 奴らは腕で顔を(かば)った。
「や、やれよ!自分の顔がマトモだと思うんなら、俺らをそいつで()(たた)いてみろい!」
 おれはスコップを静かに下ろし、地ベタを見つめた。
「確かにな、おまえらの云ってることは当たってるぜ……」
「だ、だろ?俺たちは悪くねえ」
「そうだ。おまえらは悪くねえ」
 奴らは手を下ろし、おれを覗き込んだ。
「悪いのはあんただ。厭、あんたのその面だ」
「そうだよ。(あん)ちゃんこが悪いんじゃねえよ。悪いのはその顔さ」
「うん……うふふ」おれは頷いた、自然と(わら)いが(こぼ)れた。「あっははは」
 奴らもつられて嗤った──おれたち三人で人気の無い夜更けの道で大笑いした。
 スコップの(からだ)は柔らかい。横殴りにしたスコップがスポンジのように脇腹に埋まった。
〈あまんきみこぉぉ!〉奴は脇腹を押さえると駒のように回転し、気を失って停まった。
 鼻折れの目玉が飛び出しそうになった。
「……なんてことをするんだよ。奴は先週、肋骨(リブ)のギプスを外したばっかりなんだぞ」
「あ、それで妙に柔らかかったのか。へえ」
 鼻折れの尻にスコップを叩き付けると、奴はよたよたと前進した。
「あんた、さっき自分の顔は醜いって云ったじゃないか!」
「確かにおれはおまえらの云うように醜いけどな」
「だったら……だったら、なんで殴る?醜いのはあんたのせいじゃないか!」
「なんでか?それはな。おれは顔も醜いが心はもっと醜いからだ!」
 スコップの鉄板が鼻折れの顔でパキーンっと鳴った。たぶん歯に当たったのだろう。二三本、差し歯が必要かもしれない。

 
b
 

「なあ、うずくまってたぜ……」
 数日後、おれはふたりをぶちのめした場所から二百キロは離れた田舎道にいて、(わら)を積んだ荷台から引き手のオヤジに声を掛けた。この人はぼんやり歩いていたおれを乗せてくれたんだ。
 荷車を引く馬の(ひづめ)の音が牧歌的にぼっかぼっかと聞こえていた。
「ああ。蹄の音は馬の歌って儂の親父がよく云ってたよ」
「そんな話はしてないぜ。おれが云ったのは、あの爺さんはどっか具合が悪いんじゃねえのかって話さ」
「どの爺さん?」
「今、通り過ぎただろ。道の(はた)で躯を屈めてた爺さんだよ」
「あれは長音爺(ちょんじー)だよ。目が不自由なんだ」
「目が不自由だろうが何だろうが。困ってるんじゃないのか」
「目が不自由なんだよ」
「目が不自由だろうけどよ。困ってるんじゃないのか?」
「目が不自由な奴がか?」
「目が不自由でもよ」
「目が不自由な奴がなあ」
「目が不自由な奴でもさ!苦しんでるんじゃないのかよ」
「で。どうする?」
「どうするって。声ぐらいは掛けてやんなよ。場合によっちゃ医者とかをよ」
(やまい)を得ていたらどうするんだ?重い病を」
「だったらなおさら、なんとかしてやりゃいいじゃねえかよ。おれは歩いたっていいから」
「あれは目が不自由だ」
「だからそれは聞いたよ」
「目が不自由で年寄りだ」
「見りゃわかるし、だからこそだろよ!」
「目が不自由で、年寄りで、貧乏だ」
「なんとかしてやろうぜ」
「身寄りもない。ふたり子供がおったが目を離した隙に息子はドグマ(ふち)()まって死んだ。(さい)は旅芸人と駆け落ちし、たったひとり残った娘が世話をしとったんじゃが、あれが夜な夜なオソソをするので一昨年、出て行った」
「おそそ?」
「これだ」
 オヤジは右手の親指を人差し指と中指の間から覗かせた拳を振り上げた。
「村の者もこの先の小さな荒れ果てた街の者も奴には近づかんよ」
「でもよぉ」おれは傍らで屈んでいる爺さんを振り返った。荷馬車は離れ、爺さんの姿はもう綿埃のように小さくなっていた。「なんだかなあ」
「あれはそろそろ終活でええ。もう死ぬより他に人生のビッグイベントもない。病院でのたうつより、道ばたで果てた方が(さいわい)だ。それが世間の定説だ」
「定説でもなあ。でもなあ……」
「あんたは顔がずっくりと醜いから、そんなことに拘りや関わりや苦しみを感じるんだ。それもこれも全部が全部まるっと顔の醜さ(ゆえ)よ。まともな顔なら、あれを見ても、こそっとも気にはならんはずだ」
 すると荷馬車が停まった。生煮えの雑炊のような臭いがしたので見ると馬の肛門から水っぽい泥団子のような糞がボトボトと、はみ出し、落下した。続いて馬はホースのように小便を始めた。
 おれはその音を聞きながら綿埃の爺さんを見つめていた。
 じゃーじゃー
 じゃーじゃー
 ひひんぶるぶる
「ありがとよ!」
 おれはそう叫ぶと荷馬車から飛び降り、走った。後ろからオヤジが何か云うのが聞こえたが振り向かず手だけ振った。
 綿埃の爺さんはくの字になったまま横倒しになっていた。元は白かったような野良着を着ていた。荒く吐く息が臭い。
「おい。とっつぁん。大丈夫か?」
「ほうほう……は、腹が……腹が」
「医者の場所がわかるか?おぶってやるぞ」
 すると爺さんは首を振った。「い、医者は駄目だ。金がない!」
「莫迦。そんなものあとで払やいいだろう。とにかく……」
「だ、駄目だ。ひ、酷いことをされる。儂は目が見えん。ので、酷いことをされる」
 爺さんは首を(おこり)にかかったように振りまくった──息が臭い。
「なんだよ。折角ヒッチした荷馬車から来てやったのによ。降り損じゃんか」
「い、家に。家に……頼む」
 爺さんは手を合わせた。
「しょうがねえなあ。ほら乗んな」
 おれが背中を爺さんの鼻先にくっつけると、奴はよろよろしながらしがみついてきた。
 爺さんは羽のように軽かった。立ち上がるとそれまで停まっていた荷馬車が動き出し、去るのが見えた。

毎月更新

更新情報はTwitterでお知らせしています。

平山夢明(ひらやま・ゆめあき)プロフィール

平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。