04 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(4)

 呆気にとられるおれの代わりに野次馬のあちこちから声が漏れた。
『……か、カキタレ』
 その声に女はキッと振り返った。
「誰?今、あたいをカキタレっ()ったの?」
「こ、こいつだよ」コック帽が赤チョッキを指さした。
「あんた?あたいをカキタレっ云ったの?」
「めいびーべいびー。そうかも、べいびぃ」
 鼻の下を地べたに届きそうなほど伸ばした赤チョッキが照れたように云った。
「ちゅうしてくれよ。よぉ。口吸(くちす)いらぶをよぉ」
 女は赤チョッキの目に指を入れた。(ネイル)には車とゴジラが(デコ)ってあった。
「ぐもぅっぷ」
 赤チョッキは顔を押さえ、屈み込んだ。
 その頭をカキタレはロンドンでも売ってないようなバケモノヒールで思い切り踏みつける。赤チョッキは〈ぎぁな〉と叫ぶと後頭部を震源とした痛みが電気的に作用したのか〈気をつけ〉の姿勢のまま(うつぶ)せに倒れ、動かなくなった。
『いいなあ……』それを見た何人かが溜息を()く。
「あたいはバロック!いいね?」
 足を赤チョッキの後頭部に載せたままカキタレ(バロック)は野次馬を()め回した。
「でもよう、一昨日(おととい)まではホトアツラエだったじゃねえかよ」先程の勢いとは打って変わってしおらしくなった金壺眼(かなつぼまなこ)が云った。「いくらなんでも変わりすぎ……」
「あんた!」バロックは金壺の横にいる男を指さした。「あいつを素殴(すなぐ)りまさい!」
 云われた男は表情も変えず金壺の顔面に鋭角的なフックを叩き込んだ。金壺の目玉が噛み付いた時の(さめ)のように一瞬、真っ白になって、くたくたと倒れこんだ。誰も支えなかったのでアスファルトで金壺の頭は南瓜(かぼちゃ)のような音をさせてバウンドした。
「おいおい」おれは反射的に声が出てしまった。
『いいなあ……それいい……』
 また野次馬の誰かが呟く。
「ところでさ、あんた、どうしてそんな顔つき?生まれつき?家つき?(かー)つき?」
(うんにゃ)
「病つき?」
「厭」
「それじゃあ整形ジャンキー成れの果てつき?」
「違う」
「じゃあ!いったいなんなの!なんなんのよ!」バロックは歯ぎしりし、地団駄を踏んだ。「あー。わからない!とてもわからなくなってきた!わからないゾーンに()まりそうよ」
『おいおい……大変だ。わからなくなってきたみたいだぞ……』
『この分じゃまた第三次大惨事がボッパツするかもだろうぜ』
 野次馬がゴソゴソし始め、バロックはおれの前でくるくると回っては、おれを見、また回転するを繰り返した。
 おれはこんな濁酒(どぶろく)脳の女より警官の方が気になって仕方がなかったが、警官はバロックの腰と胸の辺りを見てはニヤニヤしながら首を振り、出てもいない(よだれ)を拭っている。
『さばっ』
 後ろから(くさ)甘い駄菓子のような匂いと共に肩を掴んできた奴がいた──オープンカーの運転手だ。真っ白な歯が眩しい。ピンク色の開襟シャツ、ソフトクリームの先端風の髪型が丹頂チックを塗りつけたように固まっていた。
「キミ、彼女にとてもとても失礼じゃないか。早く何故そんな顔になったのか云い(たま)えよ」
「どうして」
「愚問だね。キミとは初対面だし、爽やかな関係になれるかどうかも未知の領域になるけれども()えて……此処は敢えて、愚問すぎると云わせて戴こう。見たところ大した大学も出ていないようだし、両親も三等市民だったようだ。もしかすると面白おかしく暮らすことすらできない社会の落伍者じゃないだろうね。ボクはそういう輩と話すことはパパンに禁じられているんだ。変な伝染病を持っている場合が多いからね。貧乏とか抑圧とか革命とか」
「悪いけど、どこの惑星(ほし)の話?」
「あっははは!こいつは傑作さんだ!まあべらす!」男はおれを指さし、(からだ)を曲げて笑った。声は出ているが躯は硬い。「傑作、傑作、結束バンド。すぱしーぼ」
「あんた、無理して笑ってるだろ」
 丹頂チックは真顔に戻った。
「ふん。キミのような人種には〈思いやり〉ってものが通用しないんだな。悲しいことだ。だから一流大学に行っていない奴は嫌いなんだ。顔もそんなだし。まずは魂が卑し()に溢れ(だく)っている。いま何時?」
 おれは(から)の右腕を目の前に突き出してやった。
「え?新製品?見えないけど見えるとかいうやつ?まっく?ぐーぐる?ほっぴー?」
 おれは奴を放っておくことにした。警官もあんなだし、もしかするとゆっくりこの場を離れることができるかもしれない。
 が、おれが一歩足を踏み出した途端、バロックと名乗りだしたばかりの女が立ちはだかった──案山子(かかし)のように両腕を水平に伸ばしていた。
「何処行くの?」
「此処じゃない何処かさ」
「ダメよ」
「なぜ」
「答えを聞いてないモン」
 (バロック)は文字通り、おれの目と鼻の先に顔を突き出した。ブラウン管やポスターにあるようなプラスチックスじゃない、生きた顔があった。驚いたことに彼女はおれの顔だけじゃなく、目玉の奥まで覗き込もうと瞳をぐるぐる動かしていた。あんまり近すぎるので眉毛や産毛の一本一本までが陽を浴びた麦の穂のように光っている──おふくろ以外でおれにこんなことをする女は初めてだった。おふくろがこうする時は必ずおれにちゅうをする時だったな。おふくろは狂っていたんだ。いくら母親でもこんな(つら)にキスするなんて、まともならできるはずないもんな。
 女はまだおれを見つめていた。頭の端っこで誰かが、まるで木天蓼(またたび)に気づいた猫の面だぜと呟き、それに対し〈そんな考えは相当イカれてるぜ〉とおれの前頭連合野と、そこに集うセロトニンやノルエピネフリンが却下を叫んでいた。
「なんで云わなくちゃなんないんだよ」
「莫迦ねえ。びこーず、それがあんたの運命(さだめ)だからよ。そらっ、飛んでみなさい!」
 先程とは違い、女の口調は怒るでも錯乱するでもなく居残り坊主の課題を手伝う教師みたいになっていた。
 答えなければビクともしそうにないと悟ったおれはデマで煙に巻くことにした。
「生まれつき、病つきの家つき、(カー)つき、(ばばあ)つきだからさ」
 ホームランではないながらもツーベースほどのジョークを放ったつもりだったが、女は急に耳が通せんぼになったみたいにポカンとしていた。
 必殺のつもりのジョークが干からびて死んでしまっていた。
「勘弁してくれ。もういいだろ」
 おれはボケッと停止しているバロックから身を(かわ)そうとした。その時、少し彼女を押すような格好になった。
「あ」
 体勢を崩したバロックが軽くよろけ、おれを見た。信じられないことにそれは哀し気に見えた。こういう時は、いつも怒りに燃え盛る目が返ってくるものなのに。
「おい。いくら顔が(きね)()かれたブロブフィッシュより醜いからって女性に乱暴して良いことにはならないぞ」
 よろけたバロックを支えた丹頂チックが目の色を変えた。
「厭、わざとやったわけじゃないさ。見てただろ?」
「ああ、確かにな。こうやって女性の隙を狙っては襲いかかるってわけか」
「莫迦云うなよ。見てただろ?」
 丹頂チックは既にその有様を見てギラついている野次馬を振り返った。
「みんな!この成人男性は彼女に明らかな暴行を加えたのではないかな?」
『成人男性なんて贅沢だ!コイツだけで十分だぜ、ジューゾー!』
『俺には犯しかけたように見えたぞ、ジューゾー!』
『私には殺しかけたように見えたわよ、ジューゾーさん!』
 野次馬が燃える浣腸を()っ込まれたように喚き始めた。
「どうだ?キミの犯罪行為は明々白々のようだ」
「冗談じゃない。見てただろ?」
「愚問だ。無論さ。勿論さ」
「だったら、どっちが本当かわかるよな?」
「ボクは民主主義的選択者なのでね。縦から見ても横から見てもキミは死刑だな」
「それはねえだろ!ジューゾー」
「知り合いだっけ?」
「厭。みんなが云うのを聞いてただけだ」
「なら死刑」
 冗談じゃねえとおれは駆け出そうとした、が既に野次馬の左側が先回りして塞がった。別方向へ足を踏み出すとまたぞろそちらも野次馬が立ち塞がる。
 おれは囲まれてしまっていた。このままじゃ、リンチ確定だ。

 

 昔、タイヤを被せられて廃車置き場で焼き殺された男を見たことがあった。そいつはジュクジュクになった洋梨のような体型をしていたが、全身に灯油を浴びて着火されると悲鳴を上げながら滅茶苦茶に走り出した。凄く速かった。ポッポッと拳骨ぐらいの火を産み散らかしながら駆けるのだが、デブがあんなに走るのをおれは見たことがなかった。
 火を点けさせた男は缶ビールを実に旨そうに呑んでいた。デブは『ピストン前田が腰を振る!』と横っ腹に書かれた廃トラックにぶつかるまで駆け回り、たっぷり五分ほどは生きていた。死体はショベルカーで前もって掘ってあった穴の中に捨てられた。埋め戻された穴の上には『直腸神も大土下座!驚くほど宿便が噴き出す青汁王子』と書かれた別の廃トラックが載せられた。人の焦げる臭いがしたのは、奴が死んで水を掛けられた時だった。
──あんな目に遭うのは楽しくない。

 

 野次馬の(そば)で赤いものが映った。おれの脳味噌を覗き見したかのように18リットルの灯油用赤ポリタンクを運んでくる男がいた。見ると警官は煙草屋の店先のベンチで弁当を使いながら新聞を拡げていた。義歯(いれば)が口の中で遭難し掛かっている婆が薬缶(やかん)から茶を注いでやり、終わると眩しそうに手をかざしてこっちを見ていた。
 不意に足下に転がってきたものがあった。壊れた人形だった。ビニル製の四、五歳の女の子が持ち歩いているようなやつ、ボンネットと産着が汚れていて長い(まつげ)、右目は半開きのままだった。おれが顔を上げるとまたひとつ飛んできた。今度はおれの顔を狙って投げられたものだとわかった。ぽんぽんっと足下に人形が散らばる。見れば多少の色や汚れ、服の裂けの差はあるけれど全部が同じ人形だった。人形は隠れているボタンが何かの拍子で当たると〈Q(きゅー)ちゃんっ!〉と音を立てた。
『ほら!やっちまいな!』
 大型の段ボール箱を並べた女がなかから人形を取り出しては周りの男達に手渡していた。段ボールは別の男の手によって運び込まれ、置かれると蓋を開けられていく。
 まるで運動会の玉入れのように人形がおれに向かって投げつけられ、〈Qちゃん〉〈Qちゃん〉と地べたで人形が泣いた。
「やめろ!人形が可哀想じゃないか!」
『クソふりょうざいこなんだよ!莫迦!』女が叫ぶ。
「そういうことじゃねえだろ。おい!おまわりさん!おおい!」
 おれが呼ぶと警官が箸を止め、〈がんばれ!〉と手を振り返してきた。
「キミ、ボクが何とかしよう」
 丹頂チックがおれの前に出た。
「みんな!ちょっと聴いてくれ!いくら人形を投げても此の人を殺すことはできないぞ!殺したりできそこないにするなら工具とかナイフとか、最低でもそういうものを使わないと……」
「おい。あんた、なに云ってんだよ」
「え?真理さ。だいたい、こんなもので……」
 と、云い掛けた奴の顔面に人形の頭突きが決まった。ゴッという音がすると奴の目がくるりとひっくり返り、仰向けに倒れた。投球フォームを終えたばかりの段ボール箱の女が口を丸くしていた。
 五人ほどの男がぞろりと前に出てきた。奴らは手に手に釘抜きやら金槌やらを持っている。既にそれらを振り上げて、後は振り下ろすだけというのもいた。少しだけ目を細め、奴らはずんずんおれに迫ってきた。踏みつけられた人形が〈Qちゃん〉〈Qちゃん〉と泣いたが、奴らは全く意に介さない感じで、ただただおれに金槌やバールの味を教えようと一直線に進んできた。
 逃げようにもおれにはどこにも逃げ場はなかった。
「しぇしぇしぇ!」
「よせ!」
 筆文字の払いみたいに髪が(すだれ)になった海老茶シャツがおれに向かってバールを振り下ろした。その瞬間、目の前から海老茶が消えた。ドンッとかボンッとか音が聞こえたが、おれは目を閉じていたので何が起きたのか、わからなかった。ただ目の前には丹頂チックのオープンカーがあり、運転席にはチックの代わりにバロックがいた。海老茶は車の前方に転がっており、よろよろと立ち上がった。
「お、俺をはねたな!カキタレ、いやさ、バロック!」
「そうだよ!文句ある?ハシカミ」
「ど、どうしてだ……」
 するとバロックが運転席から立ち上がった。「あんたが好きだからだよ!」
 ハシカミと云われた海老茶の顔がくしゃくしゃになると腐ったトマトのように赤くなった。「いやあ、そんな風に云われるとよう……参ったな」海老茶は頭を掻こうとしたが腕が中途までしか上がらない。「あはは。なんか腕が折れたみたいだ」
「こっちきな」バロックが掌を上に向け、指で〈おいでおいで〉をした。
 海老茶は激痛に顔を歪めながらバロックの元に近寄った。傍で見ると海老茶は額も裂けていた。割れた皮膚から血が滴っている。
「目を閉じな」
 命じられるままに海老茶が目を閉じた。するとバロックはその頬を人差し指でつんつんしながら〈いたいのいたいのとんでけぇ~〉と唱えた。
「どう?痛くなくなった?」
「あ?ああ、大丈夫みたいだ」
「よかったねえ!ハシカミ」
「助かったぜ。バロック」
 野次馬から『いいなあ』と、また声がする。
「じゃあ、もうこれで完璧人生だね」
「ああ!カンペキカンペキ。カンペキ人生だ」
「よかった!」
 バロックが海老茶に飛びつくと折れた腕ごと抱きしめた。
「ぎゅぶぅ」
 海老茶の顔が真っ青になり、次に真っ赤になった。それでも顔は笑い続けていた。
「乗んな」
 バロックがおれを睨んだ。
「え?」
「早く乗んな。これ以上、此処に居ると、あんた死ぬから」
 その言葉に、おれは飛び乗った。
 周りは催眠術が解けたようにまたザワザワしてきたが、バロックがアクセルをベタ踏みし、オープンカーはロケットのように飛び出した。振り返るとゾンビ映画のように野次馬がわらわら後を追おうとしていたが、やがて見えなくなった。

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平山夢明(ひらやま・ゆめあき)プロフィール

平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。