03 あんたは醜いけれどあたしには綺麗(3)

(ひざまず)け」そいつは云った。
「どうしてだい?」
「それはな、おまえの面がひりたての糞のように俺や俺の良心を攻撃しやがるからだ」
 そうこうするうちに今までどこに隠れていやがったんだってほど人が集まってきた。
 全員が全員、おれを睨み、轢かれたての野良犬を見るような顔をしている。
〈事故だ〉〈病気だな〉〈厭、あんな顔は性癖だ。わざと作ったんだ〉〈人でなしの親が顔皮(がんび)胞衣(プラセンタ)屋に売ったんだ〉と、聞こえよがしが耳に届いた。
「早くしろ。跪かなけりゃ、代わりに俺がおまえを殴りつけ、踏んだ饅頭のように中身を出すこともできる。選択は自由だ。表現も自由だ」
『おまわりさん』不意に野次馬のひとりが手を上げた。五十はたっぷり越えていそうな其奴は出っ歯で瓶底眼鏡(びんぞこめがね)をしていた。
「なんですか?」
此方(こちら)は修道女殺しや幼児強姦も瞬きひとつで済ませるような顔です。どっかの子供や可哀想な娘さんが被害を受ける前に捕まえることはできませんか?それか死刑とか?」
 瓶底の言葉に他の野次馬が頷き、『ありだな』という声が沸いた。
「確かにそうしたいのは山々ですが、警官にも法ってものがありましてね。それにハーグだかバークだかで人気の人権って問題もある……」
「ちょっと待ってください。こんな顔に人権とか法が使われる?たはっ。そんな莫迦なことに税金が使われるってわけですか?人権なんてのはドラマやニュースでやるもんで現実の我々とは何の関係もないはずだ。第一、此の国では今の今迄ただの一度も人権が蹂躙されたことなんかないんですよ。歴史が其れを証明してるんだ。なのにそんな幽霊みたいなものに税金を使うなんて、それこそ人権蹂躙だ!」
 そうだそうだと野次馬が(はや)した。
「確かに仰る通りだが、こういう場合にはこう云えというマニュアルがありましてね」
「その野郎を吊すか、牢屋にブチ込んで貰いたい」薄汚れたエプロンをしたコック帽の男が叫んだ。「俺は朝から晩まで肉を()ねたり、腐りかけの魚を揚げたりしてる。此の手を見てくれ! 火傷(やけど)と切り傷で襤褸布(ぼろきれ)だ。しかも、一日十六時間も立ちっぱなしで膝も腰もボロボロ。医者からは引退して年金で暮らせと勧められているんだ。だが税金を払うのを辞めては国が困る。だから俺は死ぬ気で働いている。其れは、こんなバケモノに人権を使うためじゃない!可愛い子供や孫のため、ご近所さんのためだ!」
 野次馬が〈人権の無駄遣い反対!〉〈人権は限りある資源だ!〉と更に喚いた。
 次に、躯中に白いタイヤのような肉を巻き付けた四十がらみの女が前に出た。
「あたしだって朝、昏いうちから夜が更けるまで市場や店先で野菜を売ってるのは、こんな醜い男の人権のためじゃないんです。可愛い子供やお友達のためなんですから。もう死にたい。死ぬしかないわ」女はワッと泣き出し、隣にいた男が肩を抱き〈恥を知れ!〉と唾を吐く。
 警官が勝ち誇ったようにふんぞり返り、こっちを見た。
「全て、おまえさんのせいだ」
「おれはただペンキを買いに来ただけだぜ」
「ペンキ?何故だ?血管に打つのか?そんなものでトベるのか?みなさん!このバケモノはペンキをシャブ代わりに打つらしいですぞ!」
『なんてことだ!人間じゃねえ!』『人殺し!』『ヤキソバにしろ!』
 野次馬の声に先程まではない尖ったものが濃くなった。見れば前方の野次馬に後ろの奴が釘抜きだの、金槌だのを手渡しているのが見えた。
「おれは町外れに住んでる爺さんに壁の塗り替えを頼まれたんで材料を買いに来ただけだ」
『あれは目どんつきだ!目どんつきが壁の塗り替えなんか頼むわけがねえ!嘘つき!人殺し!小児性愛者!ヤキソバ!』
 警官が声のする方をたっぷりと見、振り返った。
「だとよ」
 プシュッとタイヤが鳴った。車の陰から赤いチョッキを着た男が離れていく、手にアイスピックを持っていた。
 警官もチョッキを目で追っていた。
「パンクしたような気がする……」
「確かに此のタイヤでは走れんな」
 おれはチョッキが捕まるのを待った。
 野次馬の先頭に戻った奴は〈なんだてめえ〉と鼻の穴を膨らませ、顎を突き出していた。
「で?」
 警官は〈うむ〉と、ひと言頷くと顎の先を掻いた。
「おい。あんた、こっちに戻るんだ」
 警官は近づいたチョッキに何かを耳打ちした。
 チョッキは云い返したが警官は許さなかった。
「巧く解決しそうだ」
「どうなるんだ」
「つまり、整備不良だ」
 警官はおれに告げた。「此のタイヤでの運転は許可できん」
「なんだって。本気で云ってるのか?」
「おいおい。悪いのは顔だけにしろ。パンクしたタイヤでは運転ができんと云ったんだ。ハンドル操作は悪くなるし、第一ブレーキが効かん。そんな危険な車を視認しておきながら走行させるわけにはいかんだろう」
「おい、あんた、目玉は達者か?パンクさせたのはあいつだぜ」
「どいつ?」
「あのチョッキだよ!」
「俺は見てないぞ。おい、あんたがタイヤをパンクをさせたってこのバケモノが云ってるぞ。本当か?嘘なんか吐いたらタダじゃおかないぞ」
「俺は何にもしてねえぜ」チョッキが肩を(すく)めた。「そいつの顔があんまり酷いからタイヤが驚いて勝手にパンクしたのさ」
 チョッキのセリフに野次馬達がうまうまと嗤った──警官も嗤っていた。
「というわけだ。とにかくこんなところにおまえのような顔が乗っていた車を放置させておくわけにはいかん。道ってのは、おまえのおふくろの子宮でもおやじの睾丸の中でもないんだからな」
「本気で云ってんのかあんた。あいつがアイスピックで突いたのは確かじゃないか」
 警官が野次馬に叫ぶ。
「おい!此のひとでなし面が、スタバがアイスピックでタイヤをパンクさせたと云ってる。しかも、俺たち全員がそれを見ていたはずだとな。あんたらどうなんだ?そうなのか?」
「俺はアイスピックなんか持ってねえぜ!」チョッキが両手を拡げてジャンプしてみせた。「調べて貰っても良い」
 警官がチョッキに近づくと形ばかりの身体検査をし、振り返った。
「この人はシロだ。なにも持ってない」
 チョッキが〈いぇーい!〉と声を上げ、またぞろ野次馬が喚きだした。
『糞ゴミゲロ顔野郎!』『人三化け七!』『未就学面!』『ビーカー生まれのゴミ箱育ち!』
「やめろ!」
 突然、大声が上がると作業着を着た男がチョッキを突き飛ばした。そいつは俺と警官の間に割り込んできた。
「おまえら、この人の顔のことを云うのはやめろ!そんなのはフェアじゃないぜ!」
 野次馬が黙り、全員が男を見つめた。
 すると、そいつの顔がくしゃくしゃになった。
「なるほど。ほんとにクソ顔だ。そんなクソ顔でも生きてるなんて、よっぽど(はらわた)が卑しいんだ。こいつはマジで生き(ぎたね)ぇ野郎だぜ!イエーぃ」
 野次馬がドッと受ける。
 警官が腹を抱え、抜いた警棒でおれの車をガンガンと叩いた。
 おれはそいつの顔面を殴り──れなかった。
 奴は見事におれのパンチを(かわ)し、代わりに肝臓の辺りに拳をめり込ませた。内臓が爆破したような激痛が全身を駆け巡り、おれは地べたに倒れると転がった。大抵の痛みは転がると薄らぐものだったが、そのときの痛みは火傷のようにいつまでも離れようとしなかった。おれは悲鳴の代わりに反吐を吐いた。
『ジョー!ジョー!』野次馬が声援を送るとそいつはチャンピオンのように両手を掲げて元の位置に戻っていった。
 散々、地べたを味わってからおれはどうにかこうにか立ち上がった。
 ボンネットの上に警官が腰を載せ、眩しそうな顔をしていた。
 まだ躯を真っ直ぐに起こすことのできないおれは傾いだまま運転席に戻ろうとした。すると野次馬が数人、車に駆け寄った。プシューと諦めたような音がし、車が斜めになり、やがて水平になった。奴らはおれの目の前でタイヤにナイフを突き立てていった。
 警官はまだ尻を載せていた──「景気はどうだい?」
 まるで初めておれと逢ったかのように奴は云った。
 おれは溜息を吐きながら、車のタイヤを調べた。
「全部、お釈迦だ。これじゃあ、走れない」
「なにかあったのか?」
 おれは奴の顔をまじまじと見た。
 その目は風に舞ってるレジ袋を眺めているような感じだった。
「厭、別に……」おれはそう答える他なかった。
 警官は〈よっこいしょういち〉と車から降りると警棒をぶらぶらさせたまま、おれの前に立った。
「車は此処に置き去りにはできない。また整備不良の車両が動くこともこの街ではない」
「判ったよ。爺さんに相談するよ」
「ああ。そうするがいい」
 警官がそう云ったので、おれは車をそのままにして歩き出した。
 野次馬が何も起きないことにブーイングをする。
 おれは一刻も早く立ち去りたかった。こんな街は御免だ。
 五メートルも行かないうちに背後で〈パーンッ〉と銃声がした。驚いて振り返ると警官が拳銃を握った手を空に高々と上げていた。銃口からはまだ仄かに煙が上がっていた。
「戻れ。まだ終わってない」
 おれは今度こそ本格的に溜息を吐いて戻った。
「いま車は動かせない。脇に抱えられるもんじゃないからな」
 おれの言葉に警官は首を振った。
「そんなことはどうでもいい。おまえ仕事は?」
「あ」
「何をしている?何をして暮らしている?」
「厭、別におれはあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしてるだけだ……」
「あっち……こっち?おまえは配送業者か?」
「そういうんじゃない。仕事はしてないんだ」
「なるほどな……」警官は頷きながら、手錠を取り出した。
「なんだよ」
「逮捕する」
「は?顔が醜いからか?」
「其れは勿論だが条例だ。折角だから犯罪として逮捕してやろう」
「折角?そんなものわざわざ折るなよ。一体、何の罪だって云うんだよ」
「軽犯罪法第一条第四項違反。働く能力がありながら働かず、諸方をうろついた者は……逮捕だ」
『前科者!死刑にしろ!』野次馬が元気を取り戻す。
「俺が捕まえなくても、奴らが放ってはおかんだろう。現行犯逮捕となれば警官でなくとも私人逮捕ってやつができる。曰く、刑事訴訟法第213条、逮捕しようとする者は警察官であると私人を問わず必要かつ相当であると認められる実力を行使することが許される、とある。つまり俺がおまえを捕まえなくとも、あそこにずらりと並んでいる奴らが、おまえを糸屑にできるって寸法だ。ひとりひとりがたっぷり時間を掛けておまえを可愛がってやることができる」
「そんな莫迦な」
「厭か?」
「当たり前だ」
 警官は野次馬を振り返った。
「あんたら、此の男は現時点で犯罪者なんだが黙って見逃してやるつもりか?」
 忽ち、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。細かな言葉は分からないが、ほぼ全員が『殺す!』と叫んでいるのは確かだった。
「おまわりさん、あいつらおれを殺すって叫んでるように聞こえるんだが」
「ああ。そのようだな」
「立派な脅迫じゃないか」
 すると警官が胸ポケットから煙草を取り出し、おれに差し出した。おれは頭を下げると一本取った。奴の火の付いたライターに煙草の先をくっつけ、おれたちは暫し野次馬のリンチ宣言に聞き入った。
「ふたつある」
「え」
「おまえさんが奴らにバラバラにされなくちゃならない理由さ」
 おれは煙草から口を離した。
「ひとつは奴らの顔は抜群とは云えないまでも、まともだ。あんたとは違う。それがあんたに法律が適用されない理由のひとつ。ふたつめは無職ってことだ。もし助かりたかったら職につくしかない。奴らが納得する職に一時でもつけたら、あんたはその瞬間、自由だ」
「そんなことできるわけがない……」
「俺が仕事を世話するとしたら、どうだ?」
 おれは警官の顔を穴が開くほどまじまじと見た。
「あんたが……」
「ああ」警官が頷き、煙草を口の端に移動させると野次馬に〈静まれ!〉という風に手を振った。「みんな、話を聞け!」
 野次馬が再び、静かになる。
「解決策がひとつある!俺は此奴に仕事をやることにした!そうすれば此奴は無職じゃなくなる。つまり、此奴の問題は虫酸が走るほど顔が醜いことだけになる」
『そいつだけで十分だ!』チョッキの脇にいたスーツの男が叫ぶ。
「そうはいかん。醜さが罪なのは条例だ。刑法じゃない。よって私人逮捕は成立せん」
 野次馬がブーイングをかました。
「とにかく俺は此処にいる誰が何と云おうとも、此奴に仕事をやる!」
「で、なにをすりゃいいんだ」
「掃除だ」
「いいぜ。どこへ行きゃいいんだ」
 警官は地べたを指した──さっき吐いた反吐がまだ生乾きになっている。
「あれを綺麗にしろ。この街には似合わない」
「道具は……」
「あるさ。おまえの(ベロ)ってやつがな」
 それを聞いた野次馬が火事から赤ん坊が救助された時のような歓声をあげた。
 警官は自身の紙入れから札を取り出した。ノグチビデオの肖像があった。
「やれ。それとも奴らに引き渡すか……だ」
 すると野次馬のなかからまた別の男が登場し、おれと警官の前に立つとズボンのチャックを下げ、やや前屈みになってから血色の悪い鼠の頭のようなものを取り出し、そこから泡の多い黄色い水を撒きだした。
「此奴は捕まえないのか。立ち小便は立派な犯罪だろ」
 おれは思わず警官に目を剥いた。
「確かにな。だが俺は今、おまえで忙しい」
「そんな莫迦な」
「おい!誰か!こいつを逮捕する気のある奴は逮捕しろ!立ち小便は重罪だ!」
 警官の声に『おう!』と呼応する声がし、五六人が立ち小便男に駆け寄ると奴らも並んで放尿を始めた。
「此は一体何の祭なんだ?」
 野次馬たちはそれには答えず、互いに肩を小突き合い、肩を組み合って戻って行った。
 汚らしい水溜まりが残された。
「あんた、奴らを逮捕しないのか……」
「したいのは山々なんだが、俺はおまえで手一杯なんだ」
 おれは溜息を吐いた。信じられないほど更に日差しが熱くなっていた。
「だが、おまえは奴らに感謝もすべきだ。なにしろ仕事がたっぷりできるんだからな」
 警官はそう云うと小便溜まりを眺めつつ〈こんなもんか……〉と更に二枚、ビデヨ札を取り出した。
「早く取りかかれ……でなけりゃ俺は昼の弁当を喰いに行かなくちゃならん。奴らに身を任せるか、労働をして賃金を得るか……」
「もしおれが奴らと揉めたら、あんたどうするつもりだ」
 すると警官が銃を出し、素早く足下を撃った。先程と同じ銃声がし、銃口から煙が上る。
 唖然としていると警官は片頬で嗤い、手にした銃をおれに向かって放った。
 それはモデルガンに本物らしく、ちょっと色を付けたものだった。
「その時は本物(リアル)を使っておまえを面白くする。此処にいる全員が晩飯のおかずに話ができるほど面白くな」
 おれはモデルガンを地べたに置いた。
「あと三十秒だけ待ってやる。それが過ぎてもおまえが舌掃除を始めなけりゃ、奴らの餌だ。たっぷり様子を確認したら、俺は弁当を使いに行く」
「なんてこった……」
「ご、はち、じゅう……」
 警官は腕時計を眺め、読み上げだした。
 野次馬の輪が狭まっていた。いずれも欲求不満とストレスと自分の人生への怒りが尻から火を噴いているような面ばかりだった。
「……さんじゅう」警官がカウントを終えた。
 おれは身動きできなかった。
 それを確認した警官が好きにしろと野次馬に頷く、ハンマーやスパナや釘抜きを手にした野次馬がおれを一斉に振り向いた。気が付くとおれは奴らにぐるりと囲まれていた。
 輪を飛び出そうと走ったおれの足を誰かが引っかけた。おれは地べたに倒れ、片手を小便溜まりに突っ込んだ。
「やめろ」そう叫んだつもりだったが、声は小さかった。
 太陽を背にした野次馬のシルエットが覆い被さってきた。
 その時、けたたましいクラクションが鳴り響いた。
 野次馬が振り返ると誰も彼もが息を呑む音が聞こえた。
 道の真ん中に深紅のオープンカーが停まっており、浅黒く日焼けした開襟シャツのモデルのような男と綺麗なんだか眩しいんだかわからないような人間離れした美貌の娘がいた。ブリムの広いチューリップのようなハットにサングラス、ハゲ頭をヘッドロックしたようなオッパイを薄くて狭い布でなんとか隠していた。
 オープンカーの縁に掴まって立ち上がった女はサングラスを投げ捨て、目を大きく見開いた──まるで花が咲くようだった。
 野次馬だけでなく、警官までもが呆然と女を見つめていた。
 彼女はドアも開けず、ひらりと飛び降りると野次馬をかき分け、おれのところへ一直線にやってきた。
 よろよろと立ち上がったおれは厭な予感に襲われた。
 女はおれの襟を掴むと二度三度振り、いきなり頬を張った。
「あんた……あんた……なんて顔してんのよ……」
 突然のことに呆気にとられている俺の代わりに野次馬のあちこちから溜息のような声が漏れた。
『……か、カキタレ』

 

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平山夢明(ひらやま・ゆめあき)プロフィール

平山夢明(ひらやま・ゆめあき)
小説家。映画監督。1961年神奈川県出身。94年『異常快楽殺人』刊行。2006年に短編「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞短編賞受賞。翌年同短編集「このミステリーがすごい!」第1位。2010年『DINER』で第28回日本冒険小説協会大賞、11年に第13回大藪春彦賞受賞。