01 よぼよぼ梅旅

 今年の夏はあまりに暑かった。逃げ場のない感じがした。
 けれど、連日のように「酷暑」「猛暑」と報道されていたせいか、逆に夏バテにはならなかった。日々、構えていたからだろう。

 おかげで、九月に入って秋バテがきた。だるい、眠い、やる気が起きない。いつも通りのような気もするが、格段に深い。おまけに仕事も詰め込んでしまっていて、負の空気をしゅうしゅうと吐きだしながら暮らしていた。

 と、旧知の友Mさんが「電車で海を見にいきたい」と言いだした。私が偏屈じじいなら、Mさんは温厚ばばあだ。「ぽたぽた焼」のおばあちゃんぽい。お互い仕事に疲れると、老後まで茶飲み友達でいようねえ、と言いながら菓子を持ち寄りよぼよぼと茶をしている。
「行こう」と即断した。二人が大好きな南方熊楠みなかたくまぐす記念館と温泉ということで、和歌山県の白浜しらはまに宿をとった。

 和歌山といえば紀州きしゆう南高なんこう梅だ。梅が好きだ。スナック菓子のフレーバーに梅味とレモン味があると必ず買ってしまう。特に「かっぱえびせん」の「紀州の梅」味が大好物なのだが、期間限定商品なので、売り場に出まわる時期は毎日食べている。
 飲み過ぎた次の日は、梅干しを焼いて番茶をそそいだものを飲むと調子が良くなる。なにより、甘味はしごに梅は欠かせない。砂糖でだるくなってきた口と体を梅は一気に回復させてくれるので、私の鞄には疲労回復用の干し梅と糖分補給用の小形羊羹ようかんが必ずといっていいほど入っている。紀州梅100%の「ぺたんこちょび梅」を愛用している。干し梅は甘味料を使ったものが多いのだが、これは原材料が梅と塩だけなので、酸味と塩気ががんときて、いい。

 梅、梅、とわくわくしながら特急電車に揺られた。くずれ梅干しが手に入ったら「梅湯流し」をやってみようと思った。梅の殺菌効果で胃腸の大掃除をするデトックス方法らしい。好きな食べもので健康になれるなんて一石二鳥だ。

 さて、白浜駅に到着。日差しが強い。夏に戻ったようで、うっとなる。細めた目に白黒のものが映った。
 パンダだ。駅の壁にも、ホームの地面にもパンダのマスコットが描かれている。改札をでるとパンダベンチ。道を尋ねたタクシーの運転手の帽子もパンダ。土産物売り場にも白黒の一角がある。あれっ、梅は……?

 アドベンチャーワールドでパンダの子が産まれたようで、町全体がパンダ推しだった。アドベンチャーワールドは次の日に行ったが、パンダグッズだらけの広大な土産物売り場があり、貸出ベビーカーはパンダ、パンダカートもある。館内で食べる団子や中華まん、ホットケーキ、オムレツにいたるまでパンダのかたちだった。おかげで、白と黒のものを見ただけでシミュラクラ現象のようにパンダの顔が浮かぶようになってしまった。パンダに興味のない私が知らないだけで、世間的には白浜といえばパンダになっていたようだ。

 梅はいずこに……とよぎる不安を抑えつつ、南方熊楠にひたり、海を眺め、ぬるく重たい風に吹かれながら浜辺を歩いた。温泉街に近づくと、梅の店やのぼりがちらほらとあらわれた。
 たくさん歩いて疲れていたので、これ幸いと梅ソフトクリームを食べた。梅うどんも梅駄菓子もたくさんある。けれど、なにか違う感が否めない。
 梅ソフトクリームを見つめる。ピンクだ。そして、甘い。

「ちはこ、梅干しの試食ができるみたいよ」とMさんが言う。彼女が私を呼ぶときの平仮名の「ちはこ」はいつも和む。「うんうん、食べさせてもらおうか」とお店の方が勧めるものをいくつか食べた。かつお梅、はちみつ梅、紫蘇しそ梅、減塩梅……塩もさまざまな濃度がある。「いっぱいあるから迷うねえ」とMさん。いや、迷わない。「塩と梅だけで作っているのをください。塩が表面で結晶化するくらいのを」と断言する。大容量のくずれ梅干しも手に入った。

 Mさんはいろいろな種類の梅干しをミニパックで買った。宿の夜ごはんにでてきた梅そうめんをすすりながら、「やっぱ、梅干しは塩だけがいいんだよ。白干梅がいい」と語った。あと梅製品の色が気になる。梅はピンクではない。どちらかといえば肌色だ。ちょっと血色が悪く、たるみだした黄色人種の肌のような。まさに、おばあちゃんの皮膚。ピンクに思えるのは赤紫蘇の色ではないか。

 以前、香道の調合師に取材をさせてもらったとき、梅の香りを作るのは大変なのだと聞いた。消費者テストをすると、梅干しの匂いを梅の香りだと思っている人が多いそうだ。しかも、赤紫蘇の匂いを梅だと思い込んでいる。本当は紅梅と白梅でも香りは違う。そして、調合師が作りたいのは梅の実ではなく花の香だった。私は昔、盆栽の白梅を育てていたことがあったので、花が咲いたときの香りを知っている。梅干しとはまったく違う、甘酸っぱく、やわらかな気高い香りだ。朝夕によく香る気がする。「みんな自分の梅があるんですよ。そういうものは難しい」と調合師は困ったように笑っていた。

 帰りの電車で「私は梅に対して偏狭だとわかった」とMさんに言うと、「ちはこはだいたいにおいてそうだよ」と微笑ほほえまれた。温厚婆は笑顔で刺してくる。そういえば、梅には毒があったなと思いだした。

第2回は11月14日(水)、第3回は12月5日(水)更新予定

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。
2008年「魚神」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補となる。近著に『人形たちの白昼夢』『クローゼット』『正しい女たち』などがある。