#21

花を喰う

「お花がごちそうだね」
 アフリカに越してすぐのこと、慣れない環境に疲れきった家族に、幼い私がそう言ったそうだ。

 まったく覚えていない。母から聞いた話なので詳細は不明だが、食べものが合わないと不平をもらす家族に、自然の美しさで心をまぎらわすよう私が勧めたらしい。
 疑いたくなるような風雅な話だけれど、あの国の花の鮮やかさは今も記憶の底にある。

 もう触れられない美しさを思いだすと哀しくなる。花の色を思いだすのはきまって春で、そのせいか春はいつもちょっと胸の底がひんやりとする。
 日本で一番好きな花は桜だ。桜が好きすぎて『桜の首飾り』という短篇集をだしてしまったくらい。今年も咲くと思うと、嬉しい反面、過ぎ去ったたくさんの桜を思いだして半笑いのような半泣きのような表情になってしまう。

 桜といえば、最近は春になるとコンビニや菓子屋に桜味商品があふれかえる。有名コーヒーチェーン店の舌を噛みそうに長い名前の桜ドリンク、桜アイス、桜シュークリーム、桜モンブラン、桜チョコレート、桜ミルクレープ、桜シフォンケーキ、桜パフェ……。外国人は日本の桜味の多さに驚くらしい。

 桜味と認識されているのは、おそらく桜葉の塩漬けの香りだろう。桜餅にまいてある、かすかに色の抜けた葉だ。塩気があんこと合って、とても好きだ。桜湯もきれいで、ほのじょっぱくていい。
 東京で寿司を食べたとき、鯛の下に桜葉が仕込まれていたことがあった。口に入れるとふわりと香り、感動した。
 桜はしょっぱい。そして、白い。あえかな塩気があり、かすかに透けるような白が、私の桜の味のイメージだ。なので、桜餅も白の道明寺を選んでしまう。

 けれど、世の中にあふれる桜味スイーツは甘く、たいがい咲き誇るようなピンク色をしている。可愛らしい薄ピンクだ。「ピンク最強!」と言わんばかりのピンク。全人類の幸福を信じて疑わないようなピンク。春爛漫感がすごい。
 たじろいでしまうのは、そういうピンクが自分には恐ろしく似合わないからである。

 よって、桜味のものを勧められると、「ああ……桜ね」と微妙な顔になってしまう。嫌いじゃないのだが、積極的に選ぼうと思えない。ピンクはピンクでも桃やラズベリーを使ったものならば、なんの恥じらいもなく挑めるのに、桜味のピンクにひるんでしまうのはなぜなのだろう。

 桜が花だからなのかもしれない。花の色があふれかえる中で、花の味をむしゃむしゃ頬張ってしまうことに抵抗がある。
 お洒落フレンチで花のサラダがでてきたときも、「いい食べもの」取材で花のパフェを食べたときも、心は弾まなかった。おいしい、おいしくない、では判断できない何かが自分の表情を曇らすのを感じた。おそらく、自分は花を食べる生き物ではない、という意識があるのだろう。

 そもそも花が食事用の皿や器にのっていても、あまり美しいと思えない。
 上手に調理された食材はとても美しい。「花より団子」と言われるように、食いしん坊は風流ではないと思われがちだけれど、食べものにだって無比の美しさはある。むしろ美しいから、私は食べることが大好きなのだ。かりっと焼けた肉塊を切ったときのしっとりと血の色を残した断面、炊きたての白米の艶と湯気、茹でた瞬間の青菜の鮮やかな緑、透明な油がはぜる揚げたてのフライ、グラサージュショコラのなめらかな光沢。食材を知り尽くした人間の手にかかった食べものには一瞬の輝きがあり、とても色っぽい。

 けれど、花の美しさは自然の中にあって、咲き、朽ちていくところにあるのだと思う。
 人の手のおよばない場所にあるからこそ、目をひき、惹かれるような気がする。私たちはまた次の季節に咲くのを待つことしかできない。ただそこに在るだけの花に様々な想いを寄せる。それがきっと花の「食べ方」だ。だから、食材として扱ってしまうことに、わずかに禁忌を覚える。

 ときどき、鳥や虫といった花を食べる生き物に、花はどんな風に見えているのだろうと思う。色の見え方も違うだろうし、季節の移ろいを感じることもないだろう。きっと彼らにとっての良い花は、私たちにとっての美しい花とは限らない。食べものを見る目とものを鑑賞する目が、どれほど違うのか知りたくなる。
 敬愛するハンニバル・レクター博士は人を食べる。もちろんフィクションだが、彼にとっては無礼な人間は食材であり、それらの人間がどんな風に彼の目に映るのかを想像してしまう。

 食材と認識するのか、しないのか。ものの見え方が変われば、感じ方も変わるだろう。感じ方が変われば、きっと世界も変わる。
 もし人間が食材だったら? 犬は? ゴリラは? イルカは? 雑草は? 虫は? 石は? 空気は? 花は?
 人はどこまで食をひろげていくのだろう。桜味のスイーツを眺めながら、食人へと思考が飛んでいく。衛生的にも倫理的にも食人が認可されることはないと思うけれど、いつか日本人は桜を眺めて「おいしそう」という感想を呟くようになるのかもしれない。

イラスト 北澤平祐

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。
2008年「魚神」で第21回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補となる。近著に『西洋菓子店プティ・フール』『ガーデン』『人形たちの白昼夢』などがある。