#16

暴食野郎

 人を支える良いものと書いて「食」なのに、ときどき食べもので身体を悪くしたくなる。

 基本的に私は「良薬口に苦し」は信じない。健康のために食事をするなんて人生の無駄だと思っている。食べる目的はただひとつ。身体が求めるから。そんな風にシンプルでありたい。

 なので、暴食の波がやってきたら、馬鹿みたいに食べる。お腹が減っていなくても食べる。胸やけがして気分が悪くなってきても食べ続ける。具合が悪くなる、食べものが毒に変わる、それこそが暴食の醍醐味だから。

 暴食するときは、たいてい精神状態が悪いときだ。執筆がどうしても進まず、何日もパソコンの前に座り続け、締切が迫りくると、徐々に心が腐ってくる。思春期か、と思うくらい苛々するし、自分が世界で最も無為な存在に思えてくる。しかし、自分のせいであることはわかっているし、自分以外の誰にも頼ることはできない。

 そのようなとき、身体がはっと気づく。そんなに精神がボロボロならば、身体もボロボロにしなくては足並みが揃わないじゃないか、と。無茶苦茶な理屈だが、それを無茶苦茶だと思えるのは平常時だからであって、精神状態がすっかり悪くなっている私にはまっとうなことに思える。そして、暴食へとひた走る。

 自分で言うと嫌味だが、私はわりときちんとした生活を愛する人間だ。起きたらベッドメイクをして、洗濯機をまわし、掃除機をかけ、午前のうちに家事を済まし、空いた時間ができたら整理整頓をしている。ひきこもりがちゆえに、家が世界のほとんどを占めることになるので、室内は清潔ですっきりとした空間に保ちたいのだ。

 食に関しても同様で、その日のメニューを決めると、先に下ごしらえなどを済ませてから執筆に入る。仕事が忙しい時期は、あらかじめ常備菜をいくつか作って冷蔵庫にストックしておく。疲労回復用の肉も冷凍庫に眠っていて、いつでも食べられるようになっている。料理は息抜きにもなるので、仕事の合間にちょこちょこ台所に立つ。予定通り仕事が済むと、網で鶏ささみや万願寺とうがらしなんかを(あぶ)ってゆっくり晩酌をする。日常食はかなり充実している。

 けれど、いざ精神がやさぐれだすと、そのような健全な家ごはんになど目もくれなくなる。ひじき煮や蓮根きんぴらといった地味色の常備菜なんか食べものにも思えない。まともに原稿を書けていない私に肉を喰う資格なんかない。冷蔵庫に背を向け、改造バイクを飛ばすような気持ちでコンビニに走る。

 スナック菓子は「キャベツ太郎」や「スコーン(和風バーベキュー)」「ポリンキー(めんたいあじ)」といった表面塩分濃度が高そうなものをチョイスする。ちなみに「ハッピーターン」の「パウダー250%」ぐらいの味の濃さが最高。スナック菓子を何袋も買い、シンナーや煙草を吸うヤンキーのように虚ろな目をして食べ続ける。しかし、どうしても袋から直接食べることができず、ちゃんと一袋ずつボウルにあけてしまうところがワルになりきれず恥ずかしい。

「プリッツ(サラダ)」や「ポッキー」といったスティック状スナックは三、四本一気に口に押し込む。「チキンラーメン」はそのままバリボリと(かじ)る。こういうときは、好きなパティスリーのケーキも高級チョコレートもお土産でもらった地方の銘菓も常備フルーツも食べない。ひらすら乾きものを摂取する。
 担当T嬢が一度「スナック菓子を食べ過ぎると舌が切れますよねー」と言っていたことがあるので、彼女も相当な暴食野郎な気がする。確かに、食べ続けていると舌が切れてくる。

 とはいえ、スナック菓子は軽い。綿菓子のような、霞のような、味はあるが実体はあまりないものである。どしんとくる炭水化物が必要だ。なので、舌が切れてくると、食パンに移る。スーパーなどで売っている、透明なビニール袋入りの食パンだ。暴食の際は五枚切りを選択する。

 ふだんはパンをスーパーで買うことがない。パンは料理人である殿が作ってくれるし、京都はパン消費量日本一だそうで近所にたくさんパン屋があるからだ。パンを焼く芳ばしい匂いが流れてくれば、スーパーで静かに並ぶ袋詰めパンより焼きたての方に行ってしまう。食パンも通常は分厚い三枚切りが好きなので、パン屋で好きな厚さに切ってもらって買う。

 ただ暴食の際はある程度の薄さが必要になってくるし、なるべく自己主張のない食パンが欲しい。スーパーで買った柔らかく白い食パンで、板チョコを一枚挟んで即席のチョコパンを作り、そのまま食べる。トーストはしない。なにも手を加えない、調理しない状態の食パンを私は生パンと呼んでいる。板チョコやインスタント焼きそばや砂糖バターや味海苔を生パンに挟んでむしゃむしゃ食べる。一袋食べるとだいたい具合が悪くなる。

 げっぷを呑み込みながら、腹の膨満感を少しでも和らげようと床に横たわる。散乱する空袋を眺めて、我が暴食ぶりを再確認する。大人のくせに、仕事もせずに、袋菓子を食べて寝っ転がっている。完全に身も心も駄目人間である。そう思うと、妙に晴れがましい気分になる。笑いだしたくなる。笑うと吐きそうなので笑わないけれど。

 そういう日は早く寝る。気持ち悪いよう、と(うめ)きながら。身体のしんどさだけに意識がいき、精神は放っておかれる。すると、次の日には()きものが落ちたようにすっきりしている。
 お茶を()れ、まだ重い胃を抱えてパタパタとキーボードを打つ。そんな感じで作家生活も十年目になるが、幸い原稿を落としたことはない。

イラスト 北澤平祐

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。
2008年「魚神」で第21回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補となる。近著に『人形たちの白昼夢』『クローゼット』『正しい女たち』などがある。