01 序 「おいしい」の裏

 幼い頃の私の口癖は「いや!」と「自分で!」だったそうだ。可愛くない子である。
 まだ妹はいなかったから、二歳になる前くらいだと思う。目の前に迫ってくるプラスチックのスプーンから顔を背けた記憶がある。そして、保育園の先生に向かって「いや!」と叫んだ。

 食べるのが嫌だったわけではなくて、食べさせられるのが嫌だった。自分で、食べたかった。「ほおら、食べましょうねえ」と急かされるのが不快だった。同じように、昼寝の時間に眠くもないのに横になるのが嫌だった。私は何度も「いや!」と叫んで逃亡した。

 よく庭の隅に逃げて、園で飼われていた山羊やぎを眺めた。山羊はのたのたと草を食んでいた。太陽の下、草はまばゆい緑に光っていて、おいしそうに見えた。ちぎって、口に運んだ。味は覚えていないけれど、保育園から帰ってきた私の鼻の中に草がいっぱい詰まっていたことがあったと母は言う。なぜ鼻に入れたのかは謎だ。

 放っておくと一人で大人しく過ごしていたそうだ。とにかく強制されることを嫌がったらしい。
「いや!」と、自己主張したあたりから記憶の中の景色は鮮明になっている。「いや!」は他者と私をわける言葉だった。外のものを受け入れるか否か選択した時から、自我というものが芽生えた気がする。

 私はもう大人なので、嫌なことがあっても絶叫することはない。小さい頃と違って、基本的には自分のことは自分でしなくてはいけなくなった。強制されることは減り、自己責任という名のもとに放棄できることも増えた。けれど、食べずに生きていくことはできない。

 なにを拒絶しようと、食べることは常にそばにある。
 働き、自分の稼いだお金でものを買い、食べる。そして、生を繋げる。そのなかで、おいしかったり、まずかったり、辛かったり、時には飲み込めなかったりする食べ物に出会う。
 けれど、どんな食べ物も自分で選択して口に運んでいる。
 その事実に、ときどき胸が震える。
 幼い頃、嫌で仕方がなかったのは、選択できないことだった。選択の甘さも苦さも自由の味で、大人になった私はその味を追いかけることが心底楽しい。

 私はツイッターに菓子や茶や料理の写真を載せている。あまりに食のことばかり呟いているので、私のことを小説家だと思っていないフォロワーさんがいてちょっと悲しい。拙著についての呟きより肉や菓子の写真に「いいね」が多くつくと(しかも大差をつけて)複雑な気分にもなる。

 ツイッターには自分がおいしいと思ったものしか載せない。料理人が作ったものを批評する立場ではないし、ツイッターという場では、なるべく誰も傷つかない呟きをしようと思っている。

 けれど、「まずい」と感じることもあるし、「二度と行くか」と思う店も確実にある。自分で作ったご飯でも、「おいしい」の裏には膨大な失敗がある。好きなものがあるということは、受け入れられないものもあるということで、嫌いなものもたくさんある。嫌いがあるから、好きが輝く。人を好きになるときだってそうだろう。誰もが好きということは、誰も好きでないのと同じだ。「嫌い」を恐れていたら、最上の「好き」には辿り着かない。

 ここでは、そんな私の食べ物にまつわる執着と記憶を包み隠さず書いていくつもりだ。「おいしい!」というのは至高であり僥倖ぎようこうなので、そうそうあることではない。なので、食にまつわる恐怖や失敗、時には辛い思い出なんかがつらつらと綴られるかと思われるが、どうかお付き合いいただきたい。
 どんなに「嫌い」「まずい」とぶつくさ言っても、結局は食べることを愛しているゆえなので。

イラスト 北澤平祐

更新は終了しました

本連載をまとめた単行本は、ホーム社より2018年初冬刊行予定です。 更新情報はTwitterでお知らせしています。

著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。
2008年「魚神」で第21回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補となる。近著に『人形たちの白昼夢』『クローゼット』『正しい女たち』などがある。