とうかさん(1)

 本通(ほんどおり)はごった返していた、朝顔、牡丹、向日葵、菖蒲(あやめ)、百合に麻の葉に紫陽花ばかりか、梅や桜や椿までもが狂い咲いて。
「お祭ですか」絵になるまとめ髪でも探してか、毛利はライカを胸にかまえて、(しき)りに往来を見回している。
「今日は何日でしたっけ」
 と傍らを進む見習いにおれが訊けば、試験ですかとでも問いたげな表情(かお)で見返してきて、
「お約束どおり十日です、六月の」
「なら間違いない。とうかさんです」
「それがお祭の名前ですか。十日だから?」
 おれは前方を歩いている毛利にも聞えるよう、声を鼻に響かせて、「終わるのが十日だからとうかさん、と信じている人間は広島にも多いです。ぼくも子供の頃、学友からそう教わりました」
 毛利はこちらにレンズを向けて後退りながら、「違うんですね」
「いま撮るんですか?」
「試し撮りですから、お気になさらず」
 おれはシャツのポケットから撮影用の伊達眼鏡を抜き、開いて顔にかけた。「雑賀(さいが)さんも入れて。記念に」
「嫌ですよ。ちなみにさい()です。濁点は無いのです」
 と離れていく見習いの、男児のような刈り上げ頭に、おれははたと(おどろ)きのまなざしを注いだ。
 字面に惑わされてそれまで気が付かずにいた。苗字がおれとアナグラムだ。日本語のアナグラムは濁点を無視するから、どっちにしろアナグラムだ。あちらにとっては(はな)から承知の事実なんだろう、きっとおれの筆名(ペンネーム)を知った瞬間(とき)から。なにか、してやられたような気がした。
 毛利にシャッターチャンスをやるつもりで、立ち止まって浴衣の流れを左右に散らす。いつしか口を、あいつのように半開きにしていたのに気付き、鏡の前で練習してきた(かす)かな弓形(ゆみなり)へと唇をむすぶ。
 予想外に好い()が撮れて、ここでフォトセッションが完結してくれたなら有り難い。飛び交う甲高い方言、街頭スピーカーが繰り返すチェリッシュ歌うところの商店街のテーマ曲、並木通りの入口に何やらの宣伝のために設営された舞台から流れてくるYMOの〈ファイアークラッカー〉が入り交じって、奇怪なハーモニーとポリリズムを生成し、おれの思考をだいぶ麻痺させている。
 ふと、意思を持ったような風がアーケイドの下を吹き抜けて、おれの髪をなぶりはじめた。毛利を見ると、流石なもので既にキャメラバッグを地面に下ろしている。そのロッド・スチュワートを思わせる、毛皮の帽子を被ったような古臭い長髪の裾も盛んにはためいている。
 特に指示がないので狩りをする獣になったつもりで、眼の焦点をどこに合わせるでもなく、雑踏のなかのイレギュラーな動きを見張っていた。父親に抱かれた幼児に尻尾を摑まれた銀色の風船の痙攣、バランスを崩してよろめいている杖を握った老婆、四肢を突っ張りリードを握った少年を電柱へと引き戻そうとするマホガニー色のバセットハウンド……。
「雑賀さん、ねえ雑賀さん」毛利が呼びかける。「(さかい)先生になにか話しかけて」
「なにを?」
「さっきの続きでいいから」
「ぼくはどうしとったら?」
「答えててください」
 おれたちは顔を見合わせた。やがて見習いは取り澄ました顔で、
「お祭の名前の由来について。先生がその本当のところにお気付きになったのは——」
「『先生』()めましょう。咄嗟には自分のことだと解らんで、いちいち後ろを振り返ってしまう」
「じゃあふたりになった時は。人に聞えるところでさん(ヽヽ)付けだと、自分を作家さんと対等だと思っている、(わきま)えのない記者だと思われてしまいます」
「どっちが上も下もなかろうに」
「あ、広島弁が出ましたね」
「広島特有の言い回しじゃないでしょう。もし今のが広島弁だとしたら、ぼくはずっと広島弁ですよ、なるべく敬語にしとるだけ」
「朝日ソーラーじゃけん」
 と例によっての、太陽熱温水器のCMの口真似。過日東京に滞在しているあいだも、会う人会う人から都合六、七回は聞かされた。彼らが思い付く二番めの「広島」だ。
「笑えと?」
「出来たら」
 おれはかぶりを振って、「物真似に物真似が重なった劣化コピー。広島弁にも、広島弁を操っとるつもりの菅原文太にも、さっぱり」
「本当はどんな感じになるんですか、広島の人が云ったら」
 取り合わず、「とうかさんの話を。中学のときだったかな、と()かじゃなくてと()かと表記されとるのに気付いて、図書館で調べてみたら案の定。お稲荷さんを音読みにすると? (いね)に、荷物の()を」
「とう……か。ああ」
「寺の別名が稲荷(とうか)さん。祭が十日になったのは語呂合わせ。さきの中央通りがまるごと歩行者天国になっとって、露店が並んどる筈。あとで行ってみられますか」
 見習いはとっぽく腕を組み、「広島くんだりまで遊びにきたんじゃないからなあ。静かな場所に移動してちゃんと新作のお話を伺わないと」と、それから毛利を振り返り、「もっとですか」
「もうちょっと」
 おれはさり気なくライカを視界に入れたまま、「次の質問をどうぞ」
「そうね……先生のお好きな色」
「黒」
「お好きな数字」
(ゼロ)
「お好きな食べ物は?」
「とろ」
 一呼吸あって、「お好きな雑誌は」
「ガロ」
「そう来ると思いました」
「雑賀さん、好きな画家は」
「ミロ。界先生はいつもそういう調子?」
「うん、いつも真剣」
(かさ)って、変わったご筆名でいらっしゃいますね」
「だって変わった名前を選んだから」
「太陽や月にかかる光輪(ヘイロー)ですよね。暈、ほかに意味があったかしら」
めまい(ヽヽヽ)とかぼやけ(ヽヽヽ)とか」
「先生にぴったりかも。あ、もちろん良い意味で」
「良い意味のめまい?」
 あはは、と見習いは失言をごまかし、「しかも逆さに読んでも——」
 頷いて、流した。
 執筆ごっこが終了し次第フロッピーディスクを鍋敷きにしたところで一厘の悔いも残らなかったであろう退屈と俗悪のコラージュを、本気で製本して書店に並べる心算の連中が居ると判明したばかりだったあの頃、人を喰った回文の筆名は悪くないアイデアに思えていた、まさか現実の世界でそう呼ばれ続ける羽目になろうとは夢想だにしていなかったから。自分がでっち上げた物語を出版するなんてのは、人混みで爆竹を鳴らして逃げるに等しい、愉快犯的行為に過ぎなかったのだ、一昨年のおれにとって。
「最近の純文学について一言」
「挿絵が少ない」
「確かに。今も広島に活動拠点を置いておられる理由は?」
「公表してないけど、まだこっちの大学の学生なんですよ、一応」
「あら。院生でいらしたんですか」
「いや、恥ずかしながら留年し続けている」
「文学部?」
「まさか。次の質問」
「最近の大きなお買いものは? 例えば今年に入ってから、いちばん高価な」
「フェンダーのギター」
「バンドを?」
「いや、たんに昔から欲しかっただけ」
「組みましょうか。わたし、ドラム叩ける。吹奏楽部でパーカッションでした」
「広島に通ってくるん?」
「距離のこと忘れてました。想像していたよりもずっと都会で、ときどき吉祥寺かどこかを散策しているような心地に。お好きな音楽のジャンルは?」
「歌詞の無いやつ」
「恋人として、或いは妻として、理想とする女性の——」
「ノーコメント。インタビュー本番でその種の事を尋ねられても、いっさい答える気はないんで宜しく。そうお伝えください」
「解りました。失礼しました。神秘的なものへのご興味は? UFOや、妖精や、魔術や」
「皆無」
海見(かいみ)倫太郎(りんたろう)に伝えたいことは?」
 確かにそう聞えた。とつぜん頬を張られたような心地で、東京から派遣されてきた雑誌記者の顔を見返した。しかしその目に、これといった特別な意思は(うか)んでいなかったのである。道化がせりふを度忘れしたもうひとりの道化に、どうした、ヒントをやろうか、それとも話題を変えようか、と問い掛けているようでしかなかった。
 おれは慎重に、「その名前、どこで——」
「はい?」
 先刻までのふざけた笑みは失せている。それはこちらの声音が低まったことへの素朴な反応に見えた。なにか別な質問をおれが聞き違えただけだろうか。
 毛利が近付いてきて、見習いに耳打ちをした。彼女は頷きながら聞き、そしておれに、
「先生、絶妙なショットが撮れた自信がおありだそうなんですけど、もし先生にご異存がなければ、屋内での撮影ではなく——」
 渡りに舟。「その絶妙な線で。壁のクロスを背にして、もっと好い表情(かお)ができるとも思えんし」
 このおれの同意を毛利は、こちらが吃驚(びっくり)するほど喜んで、
「やった」と抽選にでも当たったような声をあげ、タオルハンカチで眼の周りや首筋を拭いながら、「ぼくもこの世界に長いんですけど、間違いなく最高のが撮れてます。ポラも撮っとけたら雰囲気をお見せできたんですが、屋内のつもりだったから機材一式、あっちに置いてきちゃってて——」
 どちらかといえば蒸し暑い、といった程度の夕刻だったが、ひどい汗っかきらしく、そしてそのことが撮影に差し障るらしく、始終、手にハンカチを握り込んでいる男だった。四十路手前の、まさに若き日のロッド・スチュワートやロン・ウッドに入れ込んでいた世代と見た。
 なにが驚いたって、とんとんと額を拭っていたと思ったら、反対の手で前髪を持ち上げて頭を五センチばかり浮かせ、生まれた隙間にハンカチをまるごと突っ込んでまた引っぱり出したことだが、あまりに堂々とそうしたものだから、いったい目にも留まらぬ早技を自任しているのか、なんら隠し立てをする気もないから敢えて披露して見せたのか、判断がつかず、笑えばいいものやら、それとも違和感をおぼえなかった素振りでいるべきやら。
 髪の裾も連動して上がっていたから、帽子のようにすっぽりと、まるごとなのである。いや実際、帽子の一種なのか? 見習いに視線を送ると、彼女も初見だったらしく鳩に豆鉄砲。
 幸いにして毛利は、なにかに急かされているように、
「ではぼくはここで。雑賀さん、あとで機材を引き上げに行きます」と一礼をし、呆気なくおれたちから離れていった。かといってこちらの視界から姿を消すでもなく、方角を見失っているかのように、すこし進んではきょろきょろ、また進んではきょろきょろと——、
「成る程」とおれは得心をして、「男なんか撮ってる場合じゃないって?」
 見習いも、笑いを含んだ吐息交じりに、「ご一緒するのはわたしも初めてなんですけど、女性を綺麗に撮るので定評のある人だとか。先生のポートレイトには本当に自信があるんでしょう。ただそのあいだにも本能が騒いで騒いで、矢も楯もたまらなかった感は否めません」
「『先生』已めよう。あれは帽子なんかな。見たよね、もちろん」
(しか)とこの眼で」
「おれらは気付いてるべきなのか、それとも気付かなかったべきなのか、どっち?」
「編集長に訊いておきます。もう……なんで予め教えてくれないんだろ。きっとわたしを吃驚させようと思って黙ってたんです、みんな」
 百メーター道路沿いのホテルだというので、人混みを脱して街を南下した。
 道々、辺りを見回しては「外国みたい」「日本じゃない」と洩らす。どういうところがそう見えるのかと問えば、建物が高くても四五階と低く、路という路に幅があり、真直ぐで、辻は必ず直交しているか直角の丁字になっていて、歩いている人が少ないのが、よく夢で彷徨う、知っている筈なのに見知らぬ街にそっくりだと答えた。外国というのは夢のなかのそれらしい。
 おれの目には充分に殷賑(いんしん)をきわめているとうかさんの日の広島だが、銀座や新宿や渋谷の、いつどこで果てるとも知れぬ混雑のなかを生き抜いている人間には、すかすかに見えるのだろう。東京で一度、うっかり新宿駅で地上への出口を間違え、軌道を修正しようとして、新宿アルタ前の万年ラッシュに巻き込まれてしまったことがある。足を動かしても動かしても進まないどころか押し戻されていく、まさしく人の波に巻かれて溺れるようなあの経験ばかりは本当に、もう二度と御免に思う。
 同等の混雑といっておれが思い出せるのは、一九七〇年、大阪万博の入場口付近くらいだ。物数寄(ものずき)の伯父一家が、汽車賃を節約するのに自動車で行ってくるというので便乗させてもらったまでは良かったが、豪雨が引き起こした時速数十メートルの大渋滞に嵌まってしまい、結局、いったい片道十何時間かかったんだったか。お蔭で会場で過ごせた時間は僅かなもので、長蛇の列に囲まれた呼びもの館を遠目に、途上国の小さなパビリオンを幾つか覗いただけに終わった。
 人の尻と背中、土産物の露店のステッカー・シート、そしてドミニカ館の鉱石標本だけが、おれにとっての現実の万博の全てだ。ソ連館の色も太陽の塔の威容も、あとから眺めた雑誌の写真に上書きされてしまい印刷のドットを伴っている。買ってもらって広島に持ち帰れたステッカーを別にすれば、この目で見凝(みつ)めたという確信をいだけるのは、オレンジ色のボーキサイト原石、凄惨に黒光りする鉄鉱石、そして視点を移すごと、黄から白、緑、赤紫へと目まぐるしく色を変えた、魔法の銅鉱石……おれはまだ六歳の誕生日を迎えていなかった。
 おれが「百メーター道路」と口にするたび怪訝そうな顔をしていた見習いが、その何度めかに、
「先生……界さん、平和大通りに面したホテルです」と訂正してきた。
「同じ。同じ路のこと」
「そうでしたか」と彼女は納得しきれぬ顔で頷き、「もっとずっと長く延びた通りなんですが」
「いや、幅員が百メーターだから。歩道から緑地帯から、なにもかも含めた幅が百メートル」
「そんなにありましたか。百メートルって百メートル競走の距離ですよね」と当たり前のことを云う。

(つづく)

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著者 津原泰水(つはら・やすみ)プロフィール

津原泰水(つはら・やすみ)
1964年広島市生まれ。学生時代から津原やすみ名義で少女小説を手がけ幅広い支持を得る。97年、現名義で長編『妖都』刊行。2012年、『11』が第2回Twitter文学賞国内部門1位。2014年、近藤ようこによって漫画化された『五色の舟』が第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞。著書に『綺譚集』『ブラバン』『バレエ・メカニック』等がある。