04 フェス

 今は無き新宿東口のTSUTAYAでそのバンドに出会った。入ってすぐのところにあった試聴機のヘッドホンを手書きのPOPを読みながら何気なく手に取り、一曲聴いてすぐにそのシングルを一枚取り上げレジに向かった。何の帰りだったのかは覚えていない。でも目的なくTSUTAYAに入るくらいだからきっと憂鬱だったのだろう。
 洋楽だと思い込んでいたが、ネットで調べて日本のバンドだと知った。まだ音楽配信が始まっていなかった時代で、CDショップに赴いてAmazonに在庫のなかったCDを見つけると心が躍った。瞬く間にCDもDVDもコンプリートしていた。
 当時絶賛鬱祭りで精神安定剤や抗鬱剤を乱用し、摂食障害で体重が減りに減り生理が止まってホルモン治療を受け、心身ともにぼろぼろだった。カミソリで身体中を削りながら生きているがごとく、生きれば生きるほど痩せ細り、生きれば生きるほど全ての症状が悪化した。もう自分を保つことはできないのかもしれない。何をもって保つというのかも分からないまま漠然とそう思っていた。新婚で、小説も書けていた。嫌いな人や嫌いな仕事も特になかった。何が辛いのかも分からないまま、生きていくのが不可能であると思い知らされ続けているような日々だった。
 そんな時に出会ったバンドだった。聴いているだけで見ているだけで歌詞を読んでいるだけで息の仕方を教えてもらっているように解放感に包まれた。常に新譜を待ち望み、ツアーとなれば必死にチケット争奪戦に参加し、日常的に公式サイトのニュースやメンバーのブログをチェックした。好きすぎて好きであることを公言できず、ライブは常に一人で行った。ライブに行って歌って汗だくになって泣いて、一人で帰る時間は純度百パーセントの幸福で、だからやっぱり誰にもその気持ちを伝えることはなかった。
 新アルバムの制作が難航して危ぶまれたツアーの日程が発表され、STUDIO COASTのチケットを入手して間もない頃、妊娠が分かった。散々ライブでモッシュに巻き込まれダイブ勢に蹴られ痴漢に触られてきた私は行くことを断念してその永遠にもぎられることのないチケットをチェストに仕舞った。そうして出産した娘が一歳になった頃、そのバンドは活動休止を宣言した。
 思い返せば、新しいシングルの制作も難航していて、苦しんでいるのだろうと思われるブログもあった。でも彼らが活動休止することを考えたことも想像したことも、彼らの存在を知った時から一度もなかった。
 彼らの音楽もDVDも手の中にあって、それまで見てきたライブも脳裏に焼きついている。だからこそ、彼らが新しい曲を生み出さなくなるということがどういうことなのかよく分からなかった。よく分からないまま凄惨な育児に追われている内、予約して買ったラストライブのDVDの封も開けられないまま時間は過ぎた。娘が二歳になった頃、ちょっと時間もできたしと軽い気持ちでようやくそのDVDを見始めた私は、彼らがステージに出てきてギターを鳴らした瞬間涙が止まらなくなる。彼らが共に楽器を奏でることがない、彼らが新しい音楽を作ることがない、ステージ上から「お前ら」と呼びかけてくれたりアンコールに応えてくれることがない。それは初めて感じる絶望で、それでも私の目の前にはやるべきことが山積している。砂漠の真ん中に立たされたように、これからどこに向かえばいいのか分からなかった。仕事と育児の両立のため極限状態にあった時は気づかなかったことに、育児が少し楽になりDVDを見る余裕がでてきた頃ようやく気がついた。見上げればいつもそこで輝いていた星のようなものを私は失ったのだ。どこに向かってどうやって足を踏み出したら良いのか分からず今にも蹲りそうな気分で、エンドロールを眺めていた。
 それから更に二年後、二人目が臨月の時に東日本大震災を体験した私は、その子が一歳になる頃フランスに住み始めた。音楽に救われることもなく、それどころか人や小説や執筆、そういうものに救われることを想像することもない生活に埋没した。頼れる人のいない母子三人の生活の中、原因不明の胃痛やインフルエンザリレーの中で、いつかこの子たちを死なせてしまうかもと思いながら、何かに救いを求めることも誰かに癒しを求めることも遠い国のおとぎ話のようにしか感じられなくなっていた。

「フェス行かん?」
 六年のフランス生活の後日本に帰国した私を誘ったのは、フランスで知り合った友人の息子だった。彼もあの活動休止したバンドのファンで、ある時パリの片隅で行われたホームパーティで意気投合したのだった。当時高校生だった彼は活動休止後にそのバンドのファンになった後発組で、たくさんいるだろうとは思っていたけれど本当にそういう子たちがいるんだと嬉しくなって、散々彼らへの愛を語った。好きすぎて誰にも言えなかった思いは、十年の時を経てようやくスムーズに流れ出した。
 そのフェスには活動休止したバンドのボーカルが結成した新しいバンドが出ていた。新しいバンドのCDも全て買っていたし、やっぱりどの曲も好きだったけれど、一昨年一時帰国に被っていたため喜び勇んでツアーチケットを申し込んだ時は先行も一般も当たり前のように落選して、生で見たことはなかった。かつて私がライブ漬けになっていた頃と違って転売対策が整ったアプリチケットを導入した先行に当選したと聞いた時、喜びと同時に緊張が走った。十一歳の長女の妊娠前に行ったのが最後なのだから、彼を最後にステージで見たのは十二年も前のことなのだ。
 そのバンド以外のライブもちらほら行ってはいたけれど、フェスは初めてだった。服装は? カイロは? モバイルバッテリーは? と初心者なことを散々検索して赴いた会場でクロークの列を甘く見ていたことや、入場規制がかかるタイミングを学び、次から次へとステージを移動し懐かしいモッシュの波に揉まれ、少しずつテンションが上がっていく。それでもどこかで邂逅の瞬間に緊張しているのは確かで、ずっと好きだったバンドが活動休止して、そのボーカルが別のバンドで活躍しているという事実にナーバスになっている自分を自覚せざるを得なかった。
 あのTSUTAYAの試聴機、道端のイヤホン、スピーカーとプレイヤーを新調したリビング、出版社会議室の缶詰、あらゆる場面で受けてきた救済を完全に喪失したのかもしれない。その不安は完膚なきまでに、そのステージのトリだった彼らがリハでステージに上がった瞬間に消え失せて、高揚したまま本番を迎えいつまでも飛び跳ね腕を上げ歌い続けた。ダイブエリアを避けたステージ向かって左寄りの最前から二列目に陣取っていた私は、さほど聴きこんでいないと思っていたのに予想以上に滑らかに出てくる歌詞に驚いていた。
 彼らがステージから消えて歓声と手拍子が鳴り響く。昔よく行った新木場のライブを思い出していた。いつまでも手拍子をしていたあの時、いつまでもこの手を止めたくないただもう一度この目でもう一目見たいと身体中汗だくであちこち痛くてへとへとでも無理やり手を打ち鳴らしていたあの時の気持ちが蘇る。あのバンドとは違う、メンバーも違う、歌もあの頃とは変化した、それなのに変わっていなかった。
 スタッフがアンプのシールドを抜き楽器を撤去していく中、手を打ち続ける。何だよお前らと言いそうな様子で出てきた彼らの姿を認めた瞬間、弾けたように涙が流れた。どんなに涙を拭い続けてもステージは滲んで彼らの姿が鮮明に見えない。MCの間じゅう泣き続け、曲が始まったらずっと、涙を拭わないまま歌い腕を上げ飛び跳ねた。私が見ていない間も彼らは誰かを救い続けこうしてライブで誰かを泣かせ続けていた。バラバラだった何かがカチンと嵌ってそしてその嵌った完成形のものがシューンとどこかに飛んで行ったようだった。そしてまた新たなピースたちが目の前にある。きっとこのピースたちを私はジリジリしながら嵌め続け、彼の音楽やライブを糧にまた完成させてはシューンとどこかに送り続けるのだろう。

「こんなに楽しいって思わなかったよ。フェスってなんか、どっかでリア充な奴らの集いって感じがしてて」
 テンション高く言う私に、そう? と友達はフラットに答える。
「うん。ついていけるかなーって不安だった」
「音楽好きなんて皆どっか隠キャなんちゃう?」
 もし規制がかかってなかったら行こうと話していたステージに入場規制がかかっていたため、仕方なく野外スクリーンの前に座り込みながら、完全リア充そつなく生きてる系大学生だと思っていた彼の意外な言葉を聞いて、ふうん、へえ、と私は大きく頷いた。
「確かに、音楽とか小説に救われたことない人をすごく遠く感じることがある」
 言いながら、フランスに行く前に仮住まいしていた岡山で知り合った友達の話を思い出した。彼女は若い頃大好きだった身内を亡くした時、ひどい絶望に直面していたと話した。
 その時私すごく好きな作家さんがいて、その人の本を必ず持ち歩いてたのね。それでふとした時に突然その家族の死っていう現実がのしかかってきて発作みたいに息苦しくなってもう無理死にそうってなると、道端でもどこでもその人の本を開いて読んでたの。内容は全く関係ない恋愛の話だったりするんだけど、その世界の中に入り込んでる内に息ができるようになったんだ。
 その話を聞いた時、強烈な肯定感と共に急激に彼女に引き寄せられた。この人のことが死ぬまで好きだ。そう思った。私にもそういう、小説との出会いや小説との蜜月の経験はある。それでも彼女が、私が小説家だと知り堪えきれずといった様子で語ったその話は私の心を完全に射貫き、衝撃を与えた。彼女に対して抱いたのと同じ思いが、今日フェスでぶつかり合った人たちに僅かずつ湧き上がっていった。アンコールを終え彼らが舞台から消えてからずっと持っていた、今すぐ両手で顔を覆ってしゃがみこんで二度と動きたくないという気持ちは、今日のセトリや別のバンドのパフォーマンスについて話している内に消えた。

 それでも、新幹線に乗り東京に帰る間、そのバンドのセトリでプレイリストを作って聴いている内に感傷的になって、アンコールの曲が流れてきたらやっぱり泣いた。どんなに生きづらくてもこの生きづらさが死ぬまで続くのだとしても、あのバンドが存在するこの世に生まれてきて良かった。原発事故避難していた彼女と岡山で偶然出会い読書体験を聞いたこと、その後移住したフランスで後にフェスに誘ってくれることになる友達と出会ったこと、人と人、記憶と現在が繋がりこうして再び音楽に泣ける日が来たこと、全てに感動していた。
 東京に戻った翌日、筋肉痛になることを見越して予約していたマッサージ店で若い女性マッサージ師に肩を揉まれながらずいぶん固いですねと言われ、一昨日フェスに行ってずっと腕あげてたんですと答える。
「目当てのバンドは何だったんですか?」
 私がそのバンドの名前を口にすると、私も大好きですと彼女は黄色い声を上げた。
「実は私も月曜、大晦日にCDJで見るんです!」
 嘘でしょほんとに? 最高の年越しじゃん! 思わず顔を上げて言う。世間が年末休みに入ったこんな時期に力仕事をしている彼女が、あのバンドを見て幸福な年越しをすることが心から嬉しかった。こんなに穏やかな気持ちで人と接することができたのはいつぶりだろう。小説に救われ音楽に救われ何とか生きてきた。そしてこうして藁をも掴むように言葉や音楽から力をもらい息をつなぐ人たちがたくさんいるのだという事実こそが、星を見失ったとしてもどこかへ立ち向かう力を与えてくれるような気がした。

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著者 金原ひとみプロフィール

1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『クラウドガール』等がある。現在『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。