01 カモネギ

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 何度目かの正直で最後の最後の送別会を友人に開いてもらって二時に帰宅し、荷造り掃除をできるところまでやり一時間仮眠をとって早朝友人宅に子供たちを預け、五つのスーツケースを二往復してホテルに運び込み、二日酔いか胃腸炎かとにかく二度ゲロを吐き、ぐったりしたまま二時間に及ぶエタドリウ(不動産屋立会いの退去確認)を終え、スーツケースに入りきらなかった二箱分の荷物を郵便局から送付し、友人の家に子供を迎えに行った瞬間なぜか次女の靴が突然完全に壊れ、友人に次女を抱っこしてもらったまま探し回ってようやく見つけた靴屋で我的子供の靴に出していい値段の倍近いバレエシューズを買わされ、ホテルにチェックインしようとすると部屋の準備ができていないからバーで待ってろと言われ一時間半待たされ、人生の中でモストと言い切れる身体的危機を感じていた。二週間まともに寝ていなかった。二週間、寝ても覚めてもやることがあった。トランプで作ったタワーのように、風が吹けばこの身は一瞬で崩壊しそうだった。
 十時間寝たい。二週間ずっと思っていた。十時間寝れなくても十時間ベッドにいて眠っていない間は何も考えないでいたかった。この二週間、目を見開いたまま延々巨大台風のなか高速のメリーゴーランドに乗っているような気分だった。ただ無事に飛び立つことだけを考えていた。飛び立ってしまえば、そのあとのことは、そのあとのこと。
 フランス生活最後の晩餐は六年間週に一度か二度通い続けた大型スーパーモノプリの惣菜だった。最後だからと気が大きくなって「もうちょっと厚く……いや、もうちょっと厚く」と分厚いフォアグラのテリーヌを切り分けてもらいながら、ここの惣菜屋でフォアグラを買ったのは初めてだと気付いた。フォアグラと適当な惣菜、ジャンクフードとワインを買っただけだったのに、会計は一万を超えていた。ホテルに戻ってすぐフォークがないことに気がつき、コーヒー用のマドラーでフォアグラを切り分けバゲットに載せて頬張り、タパスのような惣菜とポテトチップを手で貪った。W杯準決勝イングランド対クロアチア戦を見た後の記憶は忽然と消えたまま二度と戻ってこなかった。

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著者 金原ひとみプロフィール

1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『クラウドガール』等がある。現在『すばる』にて「アタラクシア」、『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。