09 グループライン

 宅配食品の注文を三回立て続けに忘れていた。あらゆる飲食物、消耗品が消え失せ、あれがないこれがないと毎日のようにAmazonやロハコで注文をしてもあれがないこれがないは途切れず、この家に恒常的な焦燥を生じさせ続けている。子供のいる家庭を回すには、思いついた時に何かをやるのではなく、システマティックに活動しないと破綻してしまう。もう十年以上前にそう思い知ったはずなのに、今改めてひどいスパイラルに巻き込まれていた。ここ数年我が家のゴミ捨てを担っていた夫が、ゴミ捨てをサボりがちになり資源ゴミを二回出し忘れたため、玄関には大量のペットボトル缶、段ボールが積み上げられ、締め切り直前のような忙しさがもう一ヶ月以上継続していた。
 ゴールデンウィークのせいで全体的な進行が滞り、新刊の刊行でイレギュラーな仕事が増え、少し延ばせないかと編集者に相談した締め切りが思ったよりも延びず、数ヶ月前にチケットを取っていたライブが立て続けに入っていて、あらゆる悪条件が重なっていた。朝まで執筆をして、寝不足のままその日の予定を短時間の昼寝やレッドブルに頼ってやりすごす。そんなことを繰り返す日々は常に眠くて憂鬱で、どこにいてもここから逃げ出したいと思い続けていた。

 

 めちゃくちゃにゴミが積み上げられた玄関で上着は? 靴下は履かないの? と次女に確認し、いらなーいと言われたが一応カーディガンだけひっつかんで私もパンプスに足を入れる。
「ねえ、パパはママの他に好きな女の子はいるのかな?」
 出がけに発せられた次女の唐突な質問に思わず笑ってしまう。
「どうだろうね。ママには分からないよ」
「ママはパパの他に好きな男の子はいる?」
「いたらどうする?」
「そしたら私は自分にナイフを刺して死ぬよ」
 どこかしら世の憂鬱に共鳴するきらいのある次女の言葉に顔を曇らせる。私が思春期の頃、ベティ・ブルーやトレインスポッティング、バッファロー’66辺りの破滅志向映画にハマったように、彼女にもそういうものに惹かれる資質を感じるのだ。だからこそ私は彼女が触れる創作物に関しては気を遣ってきたのに、この歳で見せて良いのだろうかと不安になるような日本アニメを寛容に見せてきた夫のせいでこんな発言をするようになったのではないかと不信感が募る。それでも「そんなことを言ってはいけません」的なことを言う気にはなれず、私は「そんなことしたらママも死ぬよ」と絡まった次女の髪の毛に手ぐしを通しながら言った。別にもう髪の毛を梳かしてやるような歳でもないのに、彼女の髪のもつれはこの家庭のもつれの象徴のような気がして仄かに申し訳なさを感じる。
 マンションのエントランスを出ると、彼女はタンポポの綿毛がまとわりつくような柔らかさで私の手を取り歩き出す。彼女は人に甘えるのがうまい。フランスの小学校に通っていた頃、保護者会や説明会などで学校に赴くと、いつも次女は長女の友人らに可愛がられ、膝にゴロンとして撫でられていたり、抱っこされていたり、髪の毛を編み込んでもらっていたりした。夫や、私の父親なんかにも駆け寄り飛びついて抱っこさせる術を持っている。
 少し前、夫に次女を任せて友達と飲みに出かけた際、次女から電話が掛かってきたことがあった。合コンに使われる系の騒がしい店内でどうしたの? と怪訝に聞くと、ちょっと声が聞きたかったの、と言われ、二、三言葉を交わすと、じゃあねと切られた。大丈夫? と聞かれ、声が聞きたかっただけだってさ、と答えると、そういうとこ母親譲りだよねと友達は笑った。そうかなと苦笑する。私は甘ったれた人間ではあるけれど、あんな風に自然に人に甘えることはできない。私は寂しくて仕方ない時に藁にもすがる気持ちで抗えない衝動によって人に手を伸ばすだけで、ああいう人たらし的な甘え方はしていない、とそこまで考えて、次女もまた藁にもすがる気持ちで色んな人たちに甘えているのかもしれないと思い至る。例えば、もしも彼女が男児だったとしたら、私たちは分かりやすい共依存の関係に陥っていたかもしれない。そんな自分の身も蓋もない性質に呆れつつ、ジントニックを呷った。

 

 次女を習い事に連れて行くと、近くのファミレスでパソコンを開き執筆を始める。これは週に二回の習慣で、何となくこの時間になるとほっとする。それにしても眠かった。三日くらいまともに眠れていないような気がしたけれど、もしかしたらもう一週間くらいまともに眠れていないかもしれなかった。パソコンに向かったまま船を漕ぎ、ハッと顔を上げてもぐんぐん頭が下がっているような感覚に襲われる。まるで自分の頭から魂がにゅっと飛び出しているようだった。きんきんに冷えたビールをぐいぐい飲んでも、眠気のせいかすぐに身体中が暖かくなっていった。奥の席に真っ青なバッグを傍に置いた、ぐるんぐるんのパーマヘアの女性を見つけて、ああまたあの人だと思う。このファミレスでも、この隣にあるカフェでも、この通りにあるコンビニでも、しょっちゅう見かける女性だった。ご近所ではあるのだろうが、不思議なことに、この夕方の時間でも、昼間でも、深夜でも見かけるのだ。向こうも私に気づいているようで、遭遇するたびジロジロと遠慮なく視線を寄越す。店員に注文したりするところも見ているため、自分にしか見えない人なのではないかという疑問は持たずにいられているが、ここまで遭遇率が高いと不穏なものを感じざるを得ない。もしかしたらあれは未来の自分で、過去の自分を見張りに来ているのではないだろうか。見張られるとしたら、どんな理由があるのだろう。未来で破滅を迎えた私が、過去の能天気だった自分に何か苦言を呈するつもりで来ているのだとしたら、一体今の私のどんなところに彼女は危機感を抱いているのだろう。未来の自分の忠告を聞きたいとも思うが、忠告を聞いたところで私の人生が劇的に好転することもないような気もする。
 じゃかじゃか鳴っていた音楽が突然着信音に変わり、びくりと飛び起きる。パソコンの画面は真っ黒で、奥の席に座っていたあの女性ももういない。慌ててイヤホンのボタンを押すと、習い事が終わった旨を次女が伝えた。せっかくの仕事に費やせる時間をしっかり眠ってしまった。しかも頬杖をついたままの姿勢だったから、さほど睡眠ストックにはならなそうだ。あまりにも無駄が多い。あまりにも。苛立ちながらパソコンとスマホをバッグに詰めて会計を済ませる。
 宅配食品を頼んでいなかったため、次女を連れてスーパーに行くと大量に買い物をした。次女にも軽い袋を持たせ、二人で重たい重たい言いながら帰る途中、長女に塾で使うためのバインダーを買っておいてくれと頼まれたことを思い出す。最初に言われた時にAmazonで買っておけば良かったのに二度、三度とリマインドされては「分かった」と答えつつ忘れ続け、塾で用意できてないの私だけだからそろそろ買ってくれない? と昨夜遠慮がちに言われていた。ごめんもう一個買わなきゃいけないものがあったと次女に謝り、来た道を戻り百均でバインダーと、切れていた排水口ネットやお弁当用のタレびんやキッチンペーパーを購入する。一個じゃないね、という次女の言葉に余裕のある返しもできず、白けた空気のまま再び帰路を歩む。
 両手を真っ赤にして帰宅すると、食洗機に適当に食器を突っ込み夕飯を作り始める。夫は最近、ゴミ捨てだけでなく食器洗いもあまりしなくなった。外食したかったーという次女のわがままを諌めながら、なぜ切る材料の多いマリネサラダと筑前煮なんていうメニューにしてしまったのだろうと訝りつつ延々野菜を切断している途中、夫が帰ってきた。すぐにビールを飲み始め、今日あったことを話し始める彼に生温い相槌を打ちながら、ふと集中力が切れた瞬間に手の甲をフライパンに触れさせて「あつ」と小さく声を上げた。次女も夫も気づかなかったようで、次女はテレビを、夫はスマホを見ている。見る見る腫れていく傷に水をかけながらも、眠気でうとうとしてくる。
 ご飯だよと招集すると、次女と夫がやって来て食卓を囲む。
「ママご飯食べないの?」
「あんまり食欲ないから、おかずだけでいいや」
 食欲がないのも事実だったけれど、ご飯を食べると眠くなってしまうという理由もある。酔っ払っても眠くなるから、ストロングを飲みたいところをビールにした。
 九時半に帰宅した長女にママがいて良かったと感謝され何かと思ったら、学校から渡されたプールの許可書に明日までにサインが必要だと言う。パパだってサインくらいできるよと言うと、パパはよく分かってないから、と彼女は顔を顰めた。
 あ、そうだこれ、とついでのように渡された塾の請求書を見て愕然とする。数日前塾の面談に赴いた際、日本語の遅れている長女のマンツーマンを提案され、見積もりを出してくださいと話した七月分の見積もりには23万と書かれていた。
 こんな値段を提示してくるなんてどうかしてる、そこに夏期講習が入ったら七月は34万になる、34万って文芸誌に書く原稿用紙70枚分くらいの原稿料だよ? 訳がわからない。あらゆる怒りがここぞとばかりに爆発して、私は夫に喚きたてた。こっちが出せる額を提示してスケジュールを再検討してもらおう、という夫の冷静な言葉に、私は萎んだ風船のようになってそうだねと答える。やりたい放題やって生きてきた自分があらゆる方面から追い詰められている現実が滑稽で仕方なかった。思わず鼻で笑って、我慢していたストロングを開ける。
 レモン味のストロングを勢いよく呷りながら、溜まりに溜まっていた十人ほどで構成されたグループラインを開くと、今日決行されたホームパーティの画像と皆の感想が五十件ほど入っていた。ママ友たちのグループだったけれど、皆小さい子供を持っているため、小学校に通う子供のいる私だけ都合が合わず参加できなかったパーティだった。残念だったけれど、どっちにしろこの状況じゃ参加できなかったなとも思う。二、三歳の子供たちが戯れ楽しそうに遊ぶ姿や、親子で写っている画像、○○ちゃんがああだったこうだったという感想を見ながら、自分だけがどこにも存在できる場所がないような孤立感に陥る。彼らは存在する場所を持っていて、私にはないなんてことはあり得ない。分かっているのに、なぜか完全に全ての存在から切り離されているような気分だった。
 あんな幸せな親子になりたかった。またそうやって幻想を抱いては、孤独を感じる。私のこの家庭だって、グーグルフォトで見る限りこの上なく幸せそうだというのに。
 それでも、余裕のない自分にはどこか解放感がある。普段気になることが何も気にならない。焼身自殺を図って燃えている最中の人が、人の悪意や社会の不寛容さ、世間からの抑圧や誰かの俗悪さや反吐の出るような慣習なんかに見向きもせず己の苦しみにのみのたうち回れるように、私も今、自分の苦しみに向き合いのたうち回っている。むしろそれ以外のことに向き合うことができず、炎上しながら自分の醜悪さから発生する有害な黒煙を吸い込み始めて数ヶ月が経つ。いい加減そろそろ発狂するのかもしれない。そう思いながら、燃え尽きもはや残りは黒焦げの鉄筋だけのような頼りない存在となった私は、グループラインに「いいなあ私も次は絶対参加したい!」と送信した。そして能天気なスタンプも忘れずに添える。

毎月第1木曜日更新

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著者 金原ひとみプロフィール

1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『クラウドガール』等がある。現在『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。