09 天才、ときどき殺人。カラヴァッジョ


バロック絵画の巨匠画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)は、作品も人生も光と闇のコントラストが強い。イタリアを代表する画家でありながら傷害、器物破損、恐喝で裁判沙汰を起こし、少年愛を告発され、さらに殺人まで犯している。投獄と脱獄を繰り返し、逃避行の中で鬼気迫る作品を描き続けたのだ。まさに彼自身が描いた光と闇の世界のような、劇的な絵画空間を生きた男だった。
 
1606年、カラヴァッジョは知人のラヌッチオ・トマッソォーニという男を剣で刺し殺した。「賭けテニス」をしていた時に負け、得点について口論となりカッとなって刺したのだ。賭けた金額は、わずか1スクード。スクードは16〜19世紀まで使われていたイタリアの通貨だが、当時依頼された絵画の支払いが200スクード程度だったことを考えると、おそらく1万円程度の遊びの賭けだったのではないかと思う。わずかな金額の賭けで殺人を犯したカラヴァッジオが400年後、イタリア紙幣の顔になるなんて誰が想像しただろうか。
死刑宣告を受け、指名手配されたカラヴァッジョはローマから逃亡した。ローマの司法権では罰せられないナポリでパトロンとなる貴族を見つけることに成功するが、ここでも再び喧嘩をして、相手に重傷を負わせた。そのため、再びマルタへ逃げ、傑作を次々と描いた。それでもカラヴァッジョは喧嘩を続け、人を斬り続けた。投獄と脱獄を繰り返し逃げたのだ。カラヴァッジョの残虐な絵画は、自分自身がモチーフだった。逃げれば逃げるほど、人を斬れば斬るほど絵画に迫力が生まれることを発見してしまったのかもしれない。写真が無かった時代、彼は人を斬った後も、まじまじと血が流れる様子を観察していたのだろう。剣のひと振りがカラヴァッジョのスケッチだったのだ。


カラヴァッジョは、2次元の世界で描いた残酷な世界と、3次元の現実世界の区別がつかなかったのではないか。描いた作品の登場人物は、すべてカラヴァッジョ自身であり、絵画というドラマチックな劇場空間の中で生きたのだ。
彼は、生涯一枚も自画像を残さなかった。そして、作品に登場する男は、いつも同じ顔だ。大きな目、二重のまぶた、眉毛は濃く、目の色は黒、鼻は低い。ほとんどが同じ男に見える。当時、モデルを雇うお金がなかったから自分を見て描いた、という説もある。代表作「果物を持つ少年」も「病めるバッカス」もなぜか彼自身の顔にそっくりだ(画家オッタヴィオ・レオーニが描いたカラヴァッジョの肖像画が残されている)。カラヴァッジョの作品は、すべてが鏡のように彼の心の内面を映し出していた「表裏一体の絵画」と考えると納得できるのだ。
 
カラヴァッジョは、最晩年に「ゴリアテの首を持つダビデ」を描いた。旧約聖書に登場するダビデが巨人ゴリアテを倒し、その切り落とした首を持つ場面だ。切り落とされたゴリアテの頭部は、まさにカラヴァッジョ自身の自画像だ。大きな悲しみを浮かべた目と観念したような半開きの唇。自らの死を予言したのかもしれない。
そんなゴリアテの生首には、慈悲深く優しいスポットライトが当たっている。カラヴァッジョは、血と暴力に彩られた生き方を自らが実践することで「真のリアリズム」を手に入れ、最高傑作を完成させることに成功したのだ。
そして、1610年7月18日。ナポリからローマへと向かう途中で誤認逮捕され、釈放後おもむいた港街ポルト・エルコレの海岸で亡くなった。38歳だった。死因は病死とも、鉛中毒とも言われているが、マルタ騎士団による暗殺だったという説もある。いずれにしても、長い間闇の中を歩き続けたカラヴァッジョ最期の瞬間が地中海の光に溢れた海岸だったとは何とも皮肉な話だ。


イタリアでは現在でも、カラヴァッジョは絶大な人気を誇る。2002年にリラ紙幣がユーロに切り替わるまで、10万リラ紙幣にはカラヴァッジョの肖像画が使用された。これまでリラの紙幣に採用された偉人と言えば、マルコ・ポーロ、ガリレオ・ガリレイ、クリストファー・コロンブス、ダンテ・アリギエーリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティ。イタリアを代表する、そうそうたる有名人が描かれている。その中で異彩を放っているのが、カラヴァッジョだ。これほどまでに破天荒な人生を送った人物が国を代表する紙幣の顔になるというのは、さすが文化の国イタリアという感じがする。天使のような人生を送って37歳で夭折したラファエロとはまったく対照的だが、その文化的功績は公に認められているのだ。
1986年に公開されたデレク・ジャーマン監督によるイギリス映画「カラヴァッジオ」の影響もあって、彼が同性愛者(少年愛)とする説もある。当時、法律では禁止されていたものの「芸術の世界では同性愛は先進的」という風潮が浸透していたので、特に問題視されることもなかったようだ。カラヴァッジョは女性ともつき合っていたらしい。


そんなカラヴァッジョ最大の魅力と言えば「ライティング(照明)」だ。
彼は、まるで照明デザイナーのように、人の心の感情を揺さぶる光と影を絵の具で演出した。
 
1571年、カラヴァッジョはミラノで生まれた。父は侯爵に仕える執事で、土地や財産を持っていた。しかし、彼が6歳の時、ペストが大流行。父、祖父、叔父がみな死んでしまう。少年カラヴァッジョは、借金を抱えていた母を助けるため、12歳から細密描写が得意なミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノに師事し、絵画の勉強をはじめた。当時人気があった画家のジローラモ・ サヴォルドやレオナルド・ダ・ヴィンチの絵からも光の効果や静物画の技術を学んだ。
しかし、19歳の時、最愛の母が亡くなってしまう。彼は絶望した。ここからカラヴァッジョの暴走がはじまる。弟、妹と母の遺産を分けると、彼は家族を捨てローマに旅立った(何らかの傷害事件を起こしたから、という説もある)。読書が好きなおとなしい少年は、感情が激しく粗暴な性格になっていった。社会性に乏しく性格はひねくれ、自信過剰で自己中心的、皮肉屋であらゆる画家の悪口を言っていたらしい。実際に1603年、ライバルの画家ジョヴァンニ・バリオーネを誹謗(ひぼう)中傷する詩を公表し、名誉毀損(きそん)で訴えられている。もしカラヴァッジョが現代人だったらSNSで発言が大炎上するようなタイプの男だったかもしれない。


カラヴァッジョは2週間絵を描くと、1〜2ヶ月ほど居酒屋を渡り歩き喧嘩に明け暮れるという日々を送った。それでも次々と傑作を生み出す。家族や安定した生活を失った代わりに、超絶技巧の画力を身につけたのだった。
 
いつしかカラヴァッジョは、光を自在に操る画家となった。肌の質感、表情、感情までもリアルに浮き上がらせるその天才的な光のセンスは、現代の映画や写真にも影響を与えている。人物の左斜め上から強いライトを当て影を強調する演出は、物語やモチーフに強いインパクトを付けたい時に使われる。暗いスタジオでスポットライトを人物に斜めに当てると、顔も体も半分が影になるので、被写体の印象が強くなるのだ。カラヴァッジョが生み出したこの照明術は、現在でも映画やスチール撮影におけるライティング技法のひとつとなっている。これは、一般的には「レンブラントライト」と呼ばれている。17世紀オランダの画家レンブラントが、カラヴァッジョの影響でこの明暗法を確立したのだ。映画「ゴッドファーザー」に出てくるマフィアのボス、マーロン・ブランドが登場するシーンは有名なレンブラントライトだ。それほどまでに多くの芸術家が彼の影響を受けた。このようなカラヴァッジョ風の絵は「カラヴァッジェスキ」と呼ばれている。
オランダのレンブラント、フェルメール、スペインのベラスケス、フランスのラ・トゥール。実は、みんな「カラヴァッジオチルドレン」なのだ。その光の系譜は、現代の画家にも脈々と受け継がれている。日本でも明治時代の洋画家・山本芳翠(ほうすい)や大正〜昭和時代の岸田劉生(りゆうせい)、高島野十郎(やじゆうろう)なども大きな影響を受けている。
2018年に「AI(人工知能)」が描いた肖像画が、オークションに出品され約4800万円超で落札した、というニュースが話題になった。あの絵画も背景が黒い肖像画だった。レンブラントとベラスケスをミックスしてマネが印象派風に仕上げたような作品になっていた。源流を(さかのぼ)れば、やはりカラヴァッジョに辿(たど)り着く作風だ。そう考えるとAI画家もなかなか鋭い。人間がどのような絵画を好んで来たか? という問いに対しての答えを示している。「暗い(あるいは黒い闇の)背景の中で印象的に浮かび上がる人物像」を西洋人は長い間愛してきた。
まさに、美術史における光の系譜は、カラヴァッジョから始まるのだ。

 
 
 

【参考文献】
宮下規久朗『カラヴァッジョへの旅 天才画家の光と闇』(角川選書)
宮下規久朗『西洋絵画の巨匠11 カラヴァッジョ』(小学館)
宮下規久朗『もっと知りたいカラヴァッジョ 生涯と作品』(東京美術)
ティモシー・ウィルソン=スミス『カラヴァッジョ』宮下規久朗訳(西村書店)
瀬木慎一『西洋美術事件簿』(二玄社)
 
【展覧会情報】
「カラヴァッジョ展」
札幌展
会場:北海道立近代美術館(北海道札幌市中央区)
2019年8月10日(土)~10月14日(月・祝)
 
名古屋展
会場:名古屋市美術館(愛知県名古屋市中区)
2019年10月26日(土)~12月15日(日)
 
大阪展
会場:あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区)
2019年12月26日(木)~2020年2月16日(日)

毎月第2・4木曜日更新

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著者 ナカムラクニオプロフィール

ナカムラクニオ
1971年東京生まれ。東京・荻窪のブックカフェ「6次元」店主、金継ぎ師、映像ディレクター、山形ビエンナーレキュレーター。著書に『人が集まる「つなぎ場」のつくり方――都市型茶室「6次元」の発想とは』『さんぽで感じる村上春樹』『パラレルキャリア』『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』など。