07 ミレイを支えた「こじれた人々」


 

夏目漱石の小説『草枕』に、主人公である画家が、あのような絵を自分の持ち味で描いてみたいとミレイの「オフィーリア」について描写した一節がある。
 
「ミレーのオフェリヤも、こう観察すると大分(だいぶ)美しくなる。何であんな不愉快な所を(えら)んだものかと今まで不審に思っていたが、あれは矢張り()になるのだ。水に浮んだまま、(あるい)は水に沈んだまま、或は沈んだり浮んだりしたまま、只そのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸(りようがん)に色々な草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、吃度(きつと)画になるに相違ない。(しか)し流れて行く人の表情が、まるで平和では(ほと)んど神話か比喩(ひゆ)になってしまう。痙攣(けいれん)的な苦悶(くもん)(もと)より、全幅(ぜんぷく)の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は()と同じ所に存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を(もつ)て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。然し思う様な顔はそう容易(たやす)く心に浮んで来そうもない」

 (夏目漱石『草枕』新潮文庫より)

 

イギリスを代表する画家ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829−1896)は、シェイクスピア の『ハムレット』に登場する有名な場面を細密に描写した傑作「オフィーリア」を22歳の頃に描いた。この作品モデルとなった女性エリザベス・シダルは、美術モデルで詩人だったが、後にミレイの友人ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの妻となる。しかし、結婚の2年後、夫ロセッティの浮気に悩み、32歳の若さでアヘンチンキを一気飲みして自殺した。ハムレットに人生を翻弄され、入水(じゆすい)自殺した悲劇のヒロイン、オフィーリアのような人生を、絵のモデルが再現してしまった。恐ろしいほど、この作品は「超リアリズム絵画」なのだ。


ミレイは、1829年にイギリス南部サウサンプトンにある馬具製造販売業者の家に育った母メアリーの息子として生まれた。史上最年少の11歳で、伝統のある名門美術学校ロイヤル・アカデミーに入学し、「神童」と呼ばれる。
 
そんな彼が中心となって結成したのが、ラファエル前派。友人のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハントが中心メンバーだった。「ラファエル前派(ラファエロより前の派閥)」とは、ルネサンスの巨匠であるラファエロ以前の美術に戻ろうという意味で、神話や文学を再現した緻密な絵画作品が多い。「Pre-Raphaelite Brotherhood(ラファエロ以前兄弟団)」という謎めいた名前の通り、秘密結社のようなグループだった。歴史を重要視しつつも、過去に(とら)われない独特の細密な絵画表現は、とても現代的だった。ミレイが目指した「美に満たされた、主題のない絵」は、近代のイラストレーションや挿絵の原点としても興味深い芸術運動だったと言える。
 
ラファエル前派は、イギリスを代表する文化人、美術評論家で思想家ジョン・ラスキンの「芸術は自然に忠実であるべきだ(『近代絵画論』)」という主張に刺激されたグループだったのだ。


ラファエル前派は、美術史上最もスキャンダラスな「秘密結社」としても知られている。
三角関係と不倫ドラマが芸術家の創作を支え、多くのミューズたちが活躍した。
 
活動をはじめたばかりの画家ミレイたちを最も高く評価していたのが、ジョン・ラスキンだ。妻はエフィー・グレイ。裕福な家庭に育った社交的な女性だった。エフィーは19歳の時にジョン・ラスキンと結婚したが、なぜか彼は妻と夜を一度も共にしなかった。取材旅行には、いつもラスキンの両親が同行。彼がマザコンで潔癖性だったためセックスレスになったとも言われている。
 
そして、事件が起きた。1853年、ラスキンはミレイに山岳風景の描写を学ばせるため、妻エフィーと共にスコットランド旅行へ出かけた。ミレイは、ラスキンの肖像画に取り組んだ。しかし、ミレイはエフィーに絵のレッスンをしたり、結婚生活の悩み相談を聞いたりしているうちに恋に落ちてしまう。エフィー24歳。恩人の妻との禁断の恋だった。
イギリスのヴィクトリア朝時代には、女性から離婚を切り出せなかった。しかし、妻エフィーは夫が「性的不能」であるとし、処女であることを証明するため医者の検査も受け、裁判で離婚を申し立てたのだ。この事件は、その後何度も映画や舞台になった。BBC制作のテレビドラマ「Desperate Romantics(SEXとアートと美しき男たち)」や、イギリスの女優エマ・トンプソンが脚本を担当した映画「Effie Gray(エフィー・グレイ)」がよく知られている。


ジョン・ラスキンは、秘密を暴露されて屈辱的な経験をしたにもかかわらず、2人の禁断の恋をあっさり許した。離婚の翌年、ミレイとエフィーは再婚。翌年から、計8人も子供を生んだのだ。ラスキンは、離婚後もミレイの作品を冷静に高く評価し続けたというのが興味深い。やはり、紳士としてのプライドがあったのだろう。嫁を奪われてもミレイの作品に対して「現代の美術の中で、この作品(ミレイの絵画)ほど、喜びと称賛を引き起こすものはほかにない」とまで語っている。
 
しかしなぜラスキンは、エフィーに対してこのような冷たい態度だったのか? 実は、彼は「体毛恐怖症」だったようだ。初夜にエフィーの裸を見た時、彫刻の裸婦像にはないものが生えている、と気味悪がった。ラスキンはその後も、39歳の時、絵を教えていた10歳の少女に恋をする。少女が16歳の時に求婚、断られても5年後にまたプロポーズし、結局断られた。徹底的にロリコンだったようだ。さらに、ラスキンは画家ホイッスラーの作品を酷評し、名誉棄損で訴えられ敗北。精神疾患に苦しみ、精神世界の研究などをしながら、独身のまま80歳で亡くなった。結局、エフィーは正しかった、名誉やお金より、ミレイを選んで成功したのだ。その後、ミレイは、唯美主義的な「美のための美、芸術のための芸術」を目指し、精力的に活動する。次第に評価も高まっていった。かつて反アカデミズムを(うた)っていた彼だが、ロイヤル・アカデミーの準会員になったことで仲間たちを裏切ってしまい、数年後にラファエル前派は解散した。
 
ミレイは、詩集や雑誌などの挿絵も多く描くようになる。さらに自分の子どもたちをモデルにした大衆ウケする絵画を描きはじめた。エフィーと8人の子どもを養わなければならなかったからだ。しかし、ここでミレイに追い風が吹いた。イギリスに少女画のブームが起こったのだ。それは「ファンシーピクチャー」と呼ばれる子どもを描いた絵画の流行だった。時代の後押しもあって、ミレイの作品は、広く愛された。肖像画家としても歴史に名を刻み、大成功したのだ。


1886年、57歳の頃、自分のかわいい孫を描いた「Bubbles(シャボン玉)」が「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」紙に掲載され、石鹸の広告としても使用された。 次第に社会的地位も高まり、准男爵となり、最終的にロイヤル・アカデミーの会長にまでのぼり詰めた。反アカデミズムの画家としてデビューしたのに、なぜか正統なイギリスの美術史に名を残しつつ、大衆にも人気の挿絵画家となったのだ。これもすべて、ラスキンとエフィーと8人の子どもたちのおかげだった。
 
神童と呼ばれた画家ミレイは、恋愛や師弟関係はこじらせながらも、67歳で亡くなるまで、画家としてはとても恵まれていた。自然の流れに身をまかせた一生だったとも言える。三角関係も不倫ドラマも略奪愛も人間としては自然なこと。ミレイは、一生かけて「ラファエルより前」の自然な理想の世界を体現したのかもしれない。

 
 
 

【参考文献】
ローランス・デ・カール『ラファエル前派:ヴィクトリア時代の幻視者たち』高階秀爾監修、村上尚子訳(創元社)
荒川裕子『ジョン・エヴァレット・ミレイ: ヴィクトリア朝 美の革新者』(東京美術)
 
【展覧会情報】
「ラファエル前派の軌跡展」
会場:三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内)
2019年3月14日(木)~6月9日(日)

毎月第2・4木曜日更新

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著者 ナカムラクニオプロフィール

ナカムラクニオ
1971年東京生まれ。東京・荻窪のブックカフェ「6次元」店主、金継ぎ師、映像ディレクター、山形ビエンナーレキュレーター。著書に『人が集まる「つなぎ場」のつくり方――都市型茶室「6次元」の発想とは』『さんぽで感じる村上春樹』『パラレルキャリア』『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』など。