03 クリムトが描いた愛の極楽浄土


クリムトの作品は、金がちりばめられた日本の蒔絵(まきえ)金屏風(きんびようぶ)のようだ。あるいは、金色に埋め尽くされた聖人画「イコン」にも見える。この極彩色に彩られたクリムトのスタイルは、どのようにして生まれたのだろうか?
 
19世紀末、オーストリア=ハンガリー帝国の都ウィーンは、まさに「黄金」の時代だった。マーラー、などの音楽家が活躍し、支配階級層が贅沢な暮らしを楽しむ時代。グスタフ・クリムト(1862-1918)は、そんなキラキラと輝く時代の空気をキャンバスに写しとった画家だった。クリムトの父、エルンスト・クリムトは、ボヘミア出身の彫金師。母はミュージカルパフォーマー、アンネ・フィンスター。工芸家の父と、音楽の才能を持つ母の血を受け継いだグスタフ・クリムトが、自由な芸術家を目指したのも自然の流れだと言える。そして、なんといってもクリムトのもっとも重要なエネルギー源となったのは、女性と猫だ。クリムトは、生涯独身だったが、多くのモデルや恋人に愛され、子どもが14人もいたと言われている。そして、いつも猫と一緒だった。多いときで8匹も飼っていたらしく、『クリムトと猫』という伝記絵本が出版されているほどの猫好きだった。


クリムトは、経済恐慌で一家が貧しい中、奨学金をもらい14歳の年にウィーンの王立工芸美術学校に入学。大規模なウィーンの都市開発が行われ、市街地の工事や劇場の建築バブルに湧く中、17歳の頃から弟や友人と共同で美術やデザインの仕事をはじめ、のちに会社も設立した。すると内装壁画、天井画などの仕事が殺到。20代にして歴史あるブルク劇場の天井画を描き、皇帝からも高く評価された。しかし、30代に入ってウィーン大学の大講堂天井画事件が起きる。大学から依頼された天井画が性的描写などを含み、依頼にそぐわない内容だったため、批判を受けることになった。この事件がきっかけでクリムトは「ウィーン分離派」を設立。保守的な画壇から距離を置いて、新たな芸術家集団として活動をはじめることになる。
 
そんな人気絶頂のクリムトが35歳の時に愛した美少女は、17歳のアルマ・シンドラー(後のアルマ・マーラー)だった。アルマの父親は、ハプスブルク帝国のルドルフ皇太子から愛された風景画家、エミール・ヤーコプ・シンドラー。当時クリムトには妊娠中の恋人が数人いたにもかかわらず、まだ少女のアルマをストーカーのように執拗(しつよう)に追い求めた。さらに家族がいる旅先にまで会いに行ったため、父親から反対され強制的に引き離された。その後、アルマは作曲家グスタフ・マーラーの妻となり、建築家ヴァルター・グロピウスや画家オスカー・ココシュカの恋人としても有名になった。クリムトだけでなく、ウィーンの芸術家がアルマのようなミューズによって支えられていたという事実も興味深い。


モテモテの独身生活を謳歌(おうか)していたクリムトだが、たったひとりだけ特別な女性がいた。クリムトより12歳年下で、ウィーン市内に「カーサ・ピッコラ」という高級ブティックを開いたエミーリエ・フレーゲだ。出会ったきっかけは、クリムトが30歳の頃、弟のエルンストが亡くなった際、遺児の後見人になったことだった。エミーリエは、弟の妻の妹だったのだ。クリムトは、このブティックで売る洋服のデザインを手がけていたこともあり、誰よりも親しくしていた。そして、クリムトは、死ぬまでエミーリエを大切にした。ブティック経営者というエミーリエの自立した力強さに惹かれたのか、美しさに魅了されたのか。次々と恋人を替えていくクリムトにしては珍しく、亡くなるまで25年もの間、エミーリエだけは愛し続けた。結婚することも、別れることもなかったが毎年夏にはスイスに近いアッター湖でバカンスを楽しみ、彼女にたくさんのラブレターを送り続けた。55歳の時、脳卒中で倒れた時も、彼女だけを呼んだと言われている。まさに彼女はクリムトにとって永遠のミューズだったのだ。


このような華やかな人生を送った画家クリムトの作品には、どこか懐かしい既視感を感じる。きらびやかな美しい装飾は、日本の工芸品のようだ。とても「(みやび)」な感じがする。金がふんだんに使われているので、宮廷の金屏風のようだ。しかも、絵画というよりは工芸的で装飾的な職人のこだわりを強く感じる。
 
実は、1873年にウィーン万博が開かれ、日本の美術品がたくさん出品された。会場には神社、庭園、鳥居などが作られたと記録されている。もちろん浮世絵や日本の伝統工芸品も展示された。重要なのは、尾形光琳(おがたこうりん)の「紅白梅図屏風(こうはくばいずびようぶ)」が出品されていたことだ。実際に、当時11歳位のクリムト少年がこの屏風を見たかどうかはわからない。しかし、のちに工芸学校に入学していることを考えると、父親に連れられて見に行ったに違いない。並べてみると、とてもよく似ている。何らかの形で、この作品を知ったことは間違いないだろう。背景をうずまきや幾何学紋様で平面的、装飾的に描きながらも、人物の質感は実にリアル。まさに、これは尾形光琳が描いた「琳派(りんぱ)」の手法だ。


クリムトのこじれた恋多き人生を知ってから、この代表作「接吻」を眺めてみると、とても感慨深い。この絵の中の2人は、クリムト自身と最愛の恋人エミーリエ・フレーゲがモデルだと言われている。工芸の技術を極めて画家になったクリムトのすべてが込められた一枚でもある。音楽的なリズムで繰り返し貼られた金箔。もはや2人は人間というより、屏風に描かれた一本の巨木のようだ。金の砂子が()かれた静寂な背景は、雪が降っているようにも、光が溢れる死後の世界にも見える。緻密に描き込まれた草花や衣装の装飾は、目を見張るほど美しい。しかし、過剰なほどの装飾美からは、その背後にある恐怖心も透けて見えてくる。黄金の茶室を作った豊臣秀吉にも通じる「金」への執着。繁栄だけでなく、世紀末特有の退廃への恐怖もにじみ出ている。イコンやビザンティン様式のモザイク画のようなスタイルで描かれているが、中心に描かれているのはキリストではなく自分と女性。つまり、彼は自由や愛を神として崇拝していたのかもしれない。この絢爛(けんらん)豪華な「接吻」のある風景は、クリムトが夢に見た愛の極楽浄土なのだ。
 
 
 

【参考文献】
『クリムトとウィーン:アール・ヌーヴォーの世界3 色彩のエロティシズム』(学習研究社)
飯田善國『クリムト』(新潮美術文庫)
ベレニーチェ・カパッティ(文)、オクタヴィア・モナコ(絵)『クリムトと猫』森田義之訳(西村書店)
 
【展覧会情報】
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」
東京会場:東京都美術館(東京都台東区)
2019年4月23日(火)~7月10日(水)
愛知会場:豊田市美術館(愛知県豊田市)
2019年7月23日(火)~10月14日(月)

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著者 ナカムラクニオプロフィール

ナカムラクニオ
1971年東京生まれ。東京・荻窪のブックカフェ「6次元」店主、金継ぎ師、映像ディレクター、山形ビエンナーレキュレーター。著書に『人が集まる「つなぎ場」のつくり方――都市型茶室「6次元」の発想とは』『さんぽで感じる村上春樹』『パラレルキャリア』『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』など。