02 わけのわからん気持ち――太宰が自殺したときとおなじ年齢になっちゃった!――はじまったのだ。こんどこそ本当に

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 れいのシリアルキラーが逮捕されたとき、僕は17歳だった。
 当時はまだ、自宅にインターネットも通っていなかったし(隔世の感のある表現だ)、地方都市に暮らしていたこともあって、僕はうだつの上がらない高校生活を送りながら、初期の京極夏彦にハマって民俗学の本を読んだり、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴いたりして日々をやりすごしていた。今っぽく云えば、『文豪ストレイドッグス』から入って日本文学にハマったり、『フリースタイルダンジョン』のMCバトルに感銘を受けて、Netflixで『8マイル』を観たりする田舎のナードなヘッズ。という感じだろうか。全然ちがっていたらもうしわけないが。
 そんなある日の夜、NHKからニュース速報が流れ、世を賑わせている殺人犯が捕まり、その正体が14歳の少年だったことを伝えた。
 詳細は省くが、いささか猟奇的だったこともあり、世間はこの事件に大注目していて、かくいう僕もひそかに熱中していたのだが、その犯人が逮捕されたというのに、僕はこのときの自分の感情をおぼえていない。ほとんど唯一の記憶は、「うすらさむいな」と思ったことくらい。世間は犯人の年齢が14歳ということにやたら反応していたし、僕もおどろきはしたが、逮捕後、雨後のタケノコのように出版された事件の「関連本」を読んでも、あまり感心できなかった。大人たちの馬鹿騒ぎと反比例するように、事件に対する熱は冷めていった。
 その後、いろいろあったが僕は小説家になり、上京し、のちに妻となる女性と出会い、やはりいろいろあったが結婚して子供も生まれた。30歳になっていた。100万部売れるような本は書けなかったけど、一定の評価は得て、映画にもなり、マイホームも買って、そんな自分の人生を、そこそこうまくいっていると思うことに抵抗はなかった。「シリアルキラーってあこがれますよね!」と無邪気にのたまう若手小説家と出会っても、心は平静を保っていた。某小説家が愛人を囲っているとか、某編集者が不倫しているとか、浮ついた噂話を聞いても、なんとも思わなかった。僕は大人だった。
 べつにもう、何者かになりたいわけじゃないし。
 今さら、世界征服したいわけじゃないし。
 人生大満足。
 にもかかわらず、赤ん坊のオムツを替えたり、妻のおごりでワインを飲んだりしているときなどに、「あれっ?」となることがあった。なんかよくわからないけどここじゃない気がする。とか、自分はいったいなにをしているんだ! とかいった、ある種の茫然とした思いが発症して、わけのわからん気持ちになるのだ。
 ねんのために宣言しておくと、僕は妻と子供を愛しているし、このまま「お父さんマシーン」として一生を終えたとしても悔いはない。なにより、育児や家庭といった概念を代入するだけで揺らいでしまうほど、安いアイデンティティの持ち主でもない。そのはずなのに、不意打ちのようにやってくるのは、芥川龍之介が自殺する直前に書いた、「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」とは少しちがう、幸福な生活がつづくことへのぼんやりした欲求不満。
 なんかよくわからないけどここじゃない気がする。
 こまったときは人生相談だ。「あの僕、なんか、その、しんどいんです……け、ど」と、数少ない知り合いに聞いてみると、とある会社経営者(自称モテる)は、「たはー。結婚してそんなにストレス溜まってんの?」とせせら笑い、とある後輩(自称モテる)は、「先輩大変っすね。偏差値高いJKとか紹介しましょうかへへへへ」などと云うばかりで、真面目に取り合ってくれないばかりか、彼らはひどい誤解をしていた。僕が結婚というシステムを重荷に感じていると分析しているのだ。いやいや、なんでそうなる。僕の云っていることなんて、多くの男性が遭遇する普遍的な苦悩にすぎない。もし疑うのであれば、日曜日の夜に流れる国民的アニメ、『サザエさん』を、ちょっと見てくださいよ。
 マスオさんと波平は、なぜまっすぐ家に帰らず、毎晩だらだらと酒を飲むのか?
 自分の家のドアを開ける前に、一杯やって気合いを入れる必要でもあるのか?
 マスオさんと波平は、あの「理想の家庭」に苦しんでいるのか?
 自分はいったいなにをしているんだ!
 そんなこんなで数年が経ち、症状がピークに達したある日、僕とおなじく出版業界にぶら下がっている阿南(あなん)さんから、1通のメールがとどく。

 

  彼の町に行ってみませんか? 取材という名目で。

 

 恥ずかしくも懐かしい熱狂がよみがえり、僕はその話に飛びついた。
 かつては14歳だった犯人も、このときはもう30代になっていて、おなじく30代の僕は、ともに過ぎ去った時間に「共感」しながら、阿南さんと事件現場を回った。今さらなにを見たところで、新発見というものはなかったし、すでに幼い子供の親となっていた僕たちにとって、被害者も加害者もみんな子供という事件を追体験するのはしんどかったが、こう云ってよければ、それらはすべて最初から織りこみ済みだった。
 これはツアー。
 災害や戦争といった、過去に大量死が発生した現場を見ることで、自分の心に暗い波風を意図的に立たせ、それによってかえって生命力と癒やしを得るという、最近ではダークツーリズムと呼ばれている文化。
 たとえば観光客が福島やアウシュビッツを見学するとき、悲惨な現場を目の当たりにして、心を痛めたりはするけれど、実際に津波に呑まれたり、毒ガスを吸ったりする必要はないし、そのことで、「あなたたちはそれで本当に理解したと云えるんですか!」というような面倒くさい非難を浴びることもない。ツアーである以上、お客様の安心安全は保障されるべきだし、僕としても、ツアー客という立場から逸脱するつもりはなく、ただひたすら、かつてシリアルキラーが暴れ回った事件現場を、お行儀よく歩いて回った。
 だが、このときの体験を、仔細に書くことはできない。
 というのも、僕はツアーの感想を、雑誌に載せるために文章化したのだが、編集部からNGが出てしまう。原稿を修正しなければ掲載できないというのだ。
 修正の内容はざっくり云って、「人を傷つけない文章を書いてほしい」というものだった。
 本当にあったできごとについて書いた文章に対して、人を傷つけないものにしろと指示を出すということは、本当にあった部分を削れと命じているのとおなじだ。さすがにそれはだめだろうと思い、僕は抵抗を示したが、出資者には逆らえないし、出版社とケンカ別れするつもりもなかったので、最終的には修正に同意した。地名や関係者の名前を消して、編集部がまずいと判断したシーンはカットして、そのために生じた隙間を埋めるために、架空の女子高生を登場させたりした。「でもそれじゃ、全然べつの話になるんじゃない?」と云われたら、そのとおり。僕の個人的なツアーは小説……フィクションになった。
 結果論だが、その修正は意外にも、プラスに作用することになる。じつは、ツアー中に見たものをどれほど生々しく描写しても、新しいことをやっているという感覚がなく、少々あせっていたのだが、それもそのはずで、作中にフィクションが一切ないのだから、味気ないのは当たり前だった。
 ぶっちゃけた話、「本当のこと」なんてものは、どんなに取材をしたり、どんなに資料を読みこんだりしても、他人の中から見つけ出すことはできない。
 ならば、嘘や誤解や思いこみの可能性があったとしても、自分なりの気づきというものを表現するのが、本当にあったできごとに対する、誠意ある対応なのではないか。「本当のこと」を大切にしようとするあまり、見てきた風景を生真面目に描写したところで、現実の劣化コピーが浮かび上がるだけなのではないか。
 心からそう信じたわけではなかったが、僕は考えを新たにして、バリバリと原稿を修正した。結果、原稿はぶじに掲載され、わりと高評価を得た。苦肉の策で出したはずの創作キャラクターも、想定以上にうまく動いてくれた。
 でも、それはそれ。
 フィクションへと書き換えていく中で、最初の文章には内在していた濃密なエキスが消えたのは事実であり、そのため、僕の言いたかったことが伝わらなかったのではという懸念が、正直なところかなりあった。欲求不満からはじまった僕のツアーはこうして、欲求不満のまま終わることになった。
 ちなみに、掲載問題でゴタゴタする直前、阿南さんは家庭の事情で急に海外に行ってしまった。いつ日本に戻ってくるか、そもそも戻ってくるかどうかもわからないという話だった。原稿ともども取り残された僕は、すべてがうまくいっていないという思いにとらわれた。
 その後、僕は新たなフィクションを書くこともなく、育児と掃除ばかりをやるようになった。いくつもの欲求不満をかかえたまま日々をすごし、やがて自分が欲求不満であることすら忘れた。月日が流れた。38歳になっていた。僕はまだなにもはじまっていないのに、平成は終わろうとしていた。

 

     ※

 

 その日は、12月29日。
 ちょっとした夫婦喧嘩で傷ついた僕は、なんとなく自殺したくなって電車に乗り、なんとなく吉祥寺で降りた。
 長いこと「東京で住みたい町ナンバー1」の座に君臨していた吉祥寺だが、最近はさすがに順位を落としていて、事実、少し前とくらべれば寂れたように感じる。もちろん今でも観光客はやってきているのだろうが、町の雰囲気がどうにも内向きで、流れが淀んでいるのだ。それは地方都市とよく似ていた。
 ふと、あの日のツアーを思い出す。
 れいのシリアルキラーが生まれ育った町は、生協が経営するショッピングモールが駅前にドンとあるだけで、観光客を迎え入れるホテルはなく、そもそも観光客がくるはずもなく、駅から少しでも離れたらコンビニエンスストアもなかった。さすがに吉祥寺はそこまで極端ではないが、それでも外部の人間を楽しませようという空気感はあまり感じられず、外部の人間である僕は気を滅入らせた。クリスマスは終わったというのに、駅前には大きなクリスマスツリーが立っていた。そういえばあの町のショッピングモールでも、クリスマスツリーを見た。どちらの町も、ほかにすることがないのだろう。
 子連れの家族でうようよしている井の頭公園を、20代のころに買った黒いコートを着て歩き進む。
 玉川上水を見つけた。
 いよいよ自殺したくなった。
 こんなふうに書いたら、「え、夫婦喧嘩とか玉川上水とか、それだけの理由で死ぬの? マジで?」と云われそうだが、少なくともこのときの僕はマジで死ぬつもりだった。実際に自殺したことはないので断言できないが、自殺というのは思考を瞬間的によぎる、いわば通り魔のようなもので、それはふとした拍子に脈絡もなくやってきて、そのとき、たまたま駅のホームに立っていたり、たまたま首を吊るのに適切な縄があったりしたら、人間はあっけなく死んでしまうのだろう。
 僕は玉川上水に沿って歩きながら、その気があるかどうかはともかく、うまく死ねそうな場所を検分する。だけど現在の玉川上水はシケていて、飛びこんだところで川底に頭をぶつけるだけだし、まわりには住宅が建ちならび、川に近づくことさえできない。
 そのうち、玉鹿石が視界に入った。今も多くの人々に読まれている太宰治が、愛人のサッちゃんとともに玉川上水に飛びこんだとされるポイントだ。太宰はここで、38年という生涯をみずから終えた。
 38歳で死んだのは太宰だけじゃない。

 

 足利義詮(苦境に立たされたまま病死)。
 ランボー(病死といえば病死)。
 ゴッホ(いろいろうまくいかなくて自殺)。
 ロートレック(アル中と性病)。
 宮沢賢治(ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから)。

 

 僕の大好きな人たちが、ばたばた死んでいる。そして僕も38歳。若い犯罪者ではないので14歳という危うい季節はぶじに通過し、ロックミュージシャンでもないので27歳もやりすごした。あとはこの38歳を乗り切れば、たぶん、きっと、なんとかなるだろう。そう、僕はこれまでうまくやってきた。小説家になり、結婚して、幸福な家庭を手に入れた。これって客観的に見れば、なかなか評価できる人生じゃありませんか? ポイントはお高いんじゃありませんか? 自殺する必要はないんじゃありませんか?
 気づけば、あたりは暗くなっている。
 さきほどまではっきり見えていた玉川上水も、薄闇に紛れてよく見えない。
 心中当日、太宰はべろんべろんに酔っ払っていて、玉鹿石があるこの場所まで、サッちゃんが引っぱっていったと云われているが、闇夜の中を流れる玉川上水を前にしたとき、太宰はさぞ怖かっただろう。それでも、この期におよんでもまだ、本気で死ぬつもりではなかっただろう。「自殺は処世術」と公言していた太宰の気持ちが、僕にはよくわかる。自殺衝動という通り魔を、ある意味では飼い慣らしていた太宰は、たびたび狂言自殺を演じることで、そのとき自分を苦しめる難題を、いつだってうまいこと乗り切っていた。太宰にとっての自殺とは、今どきの女の子たちがBTSに惚れこんだり、男の子たちが『SSSS.GRIDMAN』を見て勇気をもらうのとおなじで、自分を生存させるためのフィクションにすぎないものだった。
『電遊奇譚』、『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』の作者である藤田祥平は、そうした著作よりも、現代中国に生まれてこなかったことを悔やむコラム、『日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと』で有名かもしれないが、彼が書いたように僕たち日本人がうらやむイケイケの中国大陸でも、「弱者代表」であるはずの太宰治が読まれていて、現在、『人間失格』が大ヒット中らしく、かの名言、「生まれてきて、すみません」の中国風の云い方があるのだと、先日、僕の出版イベントにきてくれた中国人の女の子が楽しそうに教えてくれた。今や太宰治の人気は、世代と国境を越えた。死ななきゃよかったのに。もったいないと素直に思う。
 38歳で死んだ太宰は、たしかにそのとき、片手では数え切れないほどの問題をかかえていて、頭がいっぱいいっぱいだったが、同時に、『斜陽』が商業的に成功し、小説家としてはこれからが本番というところだった。自分がついにブレイクしたことを、太宰は確実に理解していたはずだ。なのに自殺した。本気でそのつもりがあったかどうかはわからないが、とにかく自殺した。
 どうやら評価や成功といったものは、生を保障するものではないらしい。今年自殺した38歳の有名人は知らないけど、きっとたくさんいるだろうし、「なんで死んだの? うまくいってたじゃん……」と云われていることだろう。生きるということが、労働の成果とはまったく関係ないのであれば、では僕たちはどうやって生きのびればいいのだろうか。
 そのとき、コートのポケットに突っこんでいたスマートフォンが震えた。
 妻からLINEがきたのかと思ったがそうではなくメールで、差出人の欄には、海外に暮らしているはずの阿南さんの名前が表示されていた。

 

 ご無沙汰しております。
 お変わりありませんか?
 唐突ですが先日、帰国しました。
 日本を離れていたのは4年半ほどではあるものの、あまりの世界の違いに、いまだ戸惑っています。
 ここはかつて自分がいた日本ではなく、別の日本なのではないか、なんて気がしています。
 そのあたりの話と、れいの原稿の今後も含めて、1度お目にかかり、ご挨拶をさせていただきたいと思っていますが、ご都合の方はいかがでしょうか?
 よろしくお願いします。

 

 メールを読み終えた僕は、なにかが動き出すのを感じた。
 忘れていた古い歯車がふたたび回りはじめたような、不健全で心地のいい回転運動。
 はじまったのだ。こんどこそ本当に。

 
(03につづく)

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佐藤友哉(さとうゆうや)プロフィール

佐藤友哉(さとうゆうや)1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。