01 しいたけ占いと労働――あげくの果てのシリアルキラー――いっしょに歌ってくださいよ

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 みなさんが次の会話を読む前に、いそいで強調しておくけれど、以下の文章はシリアルキラーにかんする真面目な論考である。
「これ、聞いた話なんですけど、僕のことを、みんなが、『カッコいい。顔がタイプなの。惚れちゃう』って云ってるらしいんですよ。なのに、1人として、僕に直接そういうことを云ってくれた人がいないんです。これって、なんか変じゃないですか! どういう現象ですか!」
「俺もそうなんだ」
阿南(あなん)さんも?」
「前の会社にいたとき、女の子たちが俺のいる部署までやってきて、きゃあきゃあ騒いだりするんだが、でも実際に俺を誘ったりはしないんだ」
「うわ! そういうのって、身悶えしますよね! わかるなあ。僕は学生時代、ずっと非モテだったけど、だからって、女子から不人気だったわけじゃないんです」
「確証はあるのか」
「確証って云われると、その、でも……カッコいいって云われたことはありますよ! なのにだれも告白してこないし、なんか、めずらしい生き物をあつかうような態度で接してくるし」
「実際、めずらしかったんだろう」
「そうなんでしょうね。ちっともモテないって、当時の僕は嘆いていたけど、顔という第一関門は突破してるわけなんだから、モテない原因は自分の人格だったんですよ」
「ようは結局、自分のせいというわけか」
「僕たちがモテないのはどう考えても自分の人格が悪い!」
 僕はビールをがばがば飲み、阿南さんはそんなことは前から知っているといわんばかりの無表情で紹興酒をすすった。年末の居酒屋には多くの客がいた。サラリーマンの集団。熟年夫婦。同性のカップル。などなど。だけど僕たちが店にうまく溶けこんでいるようには思えない。僕たちは、高級ホテルのバーだろうとファミリーレストランだろうと、ぎょっとするくらい浮いていた。
 阿南さんが食事のメニューを開いて、厚揚げと唐揚げを注文したので、僕も追加のビールを頼んでから、
「阿南さん、結婚して何年ですか?」
「10年くらいかな」
「僕のところは7、8年くらいです。どっちの家庭も、案外、つづいてますね。なんで僕たちの嫁さんは、結婚してくれたんでしょうかね」
「自分なら制御できると思ったんだろう。そして声をかけてこなかった女の子たちは、本能的に回避したわけだ。俺たちと接触することで、知ってはいけない真実を見てしまうのを恐怖したのかもしれない。ゴルゴンの首を前にして、ウェルギリウスがダンテの目をふさいだように」
 日常会話で『神曲』をぶちこんでくる阿南さんは、たしかにふつうの女の子は回避するだろうなと、中身のないトークをモットーとする僕は思った。
「僕なんて全然、一般人なんですけどね。むしろ、チョロいくらいですよ。嫁さんの尻に敷かれたい人生だったし。阿南さん、『妻の帝国』って本を知ってます?」
「知ってる。佐藤亜紀さんの夫が書いたやつだろ」
「当時はわりとみんな、タイトルにびっくりしてましたけど、でも、もともと妻って帝国的な存在ですよね」
「それを感知し得ない男が、不倫に走ったり妻を奴隷にしようとしたりする」
「あとはアレですよ、結婚して落ちついたら、若いころにできなかったことを急にはじめる男っていません? サーフィンとか! 合コンとか! バーベキューとか!」
「きみ、4年前とキャラクターが変わったな」
 阿南さんは荒ぶっている僕を見て云った。
「今日はいろいろあったんです。で、僕の友人に、すべてを捨ててナンパ生活をしてる人がいるんですが……」
「ナンパ?」
「ええ、やっぱりルサンチマンはいけませんよね。青春時代にまともな恋愛をしなかった男は、心が歪んでますよね」
「きみもそうなのか」
「だと思いますよ。若いときに恋愛とかナンパとかバンド活動とか、そういうことをやっていれば、僕も今ごろ、変な鬱屈はなかったと思うんですけど」
 僕の意見を聞いた阿南さんは、瞬間的に眉間を震わせて、「それはあやまった思考だ」と云った。
「俺たちの鬱屈は、そんなものではないよ。ナンパやらバンド活動やらで解消するような鬱屈なんざ、くだらない鬱屈だ」
「まあそれはそうですが、でも、僕たちがいい年して、結婚して子供もいるのに、ずっとウジウジやってるのは、青春時代をしくじったからじゃありませんか?」
「全然ちがう。きみは通俗的な問題にすり替えている」
「ええー」
「たとえば現在、女性の社会進出とともに、専業主夫という新しいタイプの男たちが出てきて、彼らは自己のアイデンティティを見出せずに苦しんでいるようだが、苦しみの本質を、彼らは根本的に誤解している」
「誤解もなにも、専業主夫って立場そのものが苦しいんじゃないですか? カネを稼いでいないとか、男なのに育児ばっかで恥ずかしいとか……」
「経済やコスパや性差から生まれる欲求不満なんざ、俺たちは最初から相手にしていないし、そのていどの悩みなら、社会学者のコラムでも読んでいれば救われるさ」
 阿南さんは暴論を吐いてから、
「きみは、子供が保育園に通っていたときは送り迎えをして、奥さんがいないときは食事を作っていただろ?」
「そうですよ。僕は阿南さんより、バリバリの主夫ですからね。ミルクとかめっちゃあげてましたし、今も宿題を手伝ってます」
「で、それをつらいと思ったことは? 男として死んでいるとか、妻にニートするのはゴミだと思ったことは?」
「ありません。僕は僕に自信があるし、嫁さんも僕をリスペクトしてくれるから」
 僕が即答すると、阿南さんは紹興酒をあおり、「まさにそれだ」と云って、
「専業主夫たちは、労働中心の人生から、家事や育児中心の人生にシフトしたことで、自分の価値が消えたと感じているようだが、もともと労働と自分の価値とのあいだに、因果関係なんてないんだ。どうも彼らは、自分の問題をわかりやすい話に落ちつけたくて、わざとそう思いこんでいる節があるな」
「うーん、仕事だけがアイデンティティって男はたくさんいるし、主夫のしんどさもすごくわかりますけどね僕は。嫁さんが仕事で何日も家にいないときなんて、ずっとワンオペ育児しなくちゃならないから、頭もバグってきますよ」
「それでも俺たちは自分自身を信じているし、そもそも自分の存在価値を、妻から担保してもらってもいる。いいか、俺たちが苦しんでいるのは、経済活動がどうとか、若いころの鬱屈がどうとか、そんな青臭い話じゃなくて、現在も自分たちの前にある、言語化できない『なにか』と闘っているからなんだ」
「それだって、青臭い話じゃないですか。まともな大人だったら、スパッと解決できるレベルの問題にも聞こえます」
「『まともな大人』とはなんだ。元服すること? 親の仕事を継ぐこと? 成長した自分の子供にロレックスを渡すこと? 60歳にして教皇にえらばれたユリウス2世は、ジュリアス・シーザーを気取って、(よろい)を着て馬に乗っていたらしいが、これも大人か?」
 阿南さんはいつだって、古代ギリシャかルネサンス期のローマの中で生きているので、油断したらすぐに、アイスキュロスとかマキャベリとかを持ち出してくる。阿南さんのそうした話を聞くと、ほんの少し現実が揺らぐ感じがするのをひそかに楽しんでいる僕は、「それはコスプレじゃありませんかー」と云って笑った。
「少なくとも、俺たちの今の暮らしは、コスプレなんかじゃない。『大人になりましょう』という、おせっかいな声や、世間のプレッシャーに押されることもなく、結婚や育児という道を抵抗なくえらび、それが幸福であると本心から思っているんだからな」
「でもほら、独身者として生きることがカッコいいって風潮もあるじゃないですか。社会性を無視できる独身者こそ最強とか、家庭を持った男はみんなだめになるとか……」
「そんなのは完全にまやかしだ。だいたい、そういう安易なヒロイズムに駆られた連中は、きまってナポレオンやジョブズを信奉しているが、その2人だって妻帯者じゃないか」
「あ、本当だ! 子供もいますしね」
「ナポレオンもジョブズも、自分が孤独であることをおそれたのだろう。独身者やシリアルキラーのように社会を切り捨て、単独者として生きはじめると、人は自己評価のみを頼りとして、超人願望を持つからな。そして自分に都合のいい現実だけを見るようになり、抽象性の高い知性ばかりを身につけて、世界を睥睨(へいげい)するようになる。その先にあるのは、世界と自分との闘いだし、そんなことをすれば最後はもちろん負ける」
「ヒトラーみたいに?」
「ヒトラーでさえ、自殺の前日には結婚した。そんなやりかたじゃ、俺の云う『なにか』を突破することはできないというわけさ。やはり社会性は必要なんだ……いや、ダンテはこういうとき、モラルということばを使っていたが」
「はあ、モラルですか」
「俺たちを悩ませる『なにか』を突き抜けるには、モラルがなければならない」
「阿南さんはそう云いますけどね、結婚してモラルたっぷりの幸せを享受している僕たちは、実際しんどくて、今こうして飲んだくれてるわけじゃないですか。その『なにか』を、ちっとも突破できてないじゃないですか。いったい、どうすれば救われるんです?」
 僕が問うと、阿南さんは真面目な顔つきのまま、
「うん、そうだな……。占星術でも信じれば、救われるのかもしれないな」
「占星術! しいたけ占いですか!」
 ゲラゲラ爆笑した。
 こんなことを云ってもだれも信じてくれないだろうが、この6時間前、僕は自殺するつもりでいた。
 死のうと思っていた。わけじゃないんだ。

 

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 10代から30代の男女の死因ナンバーワンが自殺という事実は、僕をはげましてくれる。
 自殺というコンテンツのメインターゲットという意味では、現在38歳の僕は、14歳の少年少女となにも変わらないのだ。

 

 ひとの世の旅路のなかば、ふと気がつくと、私はますぐな道を見失ひ、暗い森に迷ひこんでゐた。

 

 ダンテが『神曲』を書きはじめたのは、42歳くらいからと云われていて、そのときダンテは結婚していて、子供もいた。にもかかわらず、ろくに会話もしないまま死んだ初恋の女の子を天使に仕立て上げ、自分と敵対した連中をボコボコと地獄に落とすという、ひきこもりの戯言(ざれごと)みたいな物語を書いたのはなぜだろう? そして、結婚して子供もいてマイホームもある僕が、今も人生になじめずにいるのはなぜだろう?
 正しく成長して、ちゃんとした大人になったはずなのに、『消えない不安』や『奇妙な違和感』をかかえているのはなぜ? キッチンに山積みになった皿を洗う前に、缶ビールを飲まなければ気合いが入らないのはなぜ? 夜中に仕事から帰ってきた妻と会うときに、不思議と緊張してしまうのはなぜ? なぜ。なぜ。そればかりがやってくる。ここは天国のはずなのに。自分でえらんだはずなのに。

 

 こんなふうに、いろんなことがわからなかった僕は、4年前、とあるシリアルキラーに会いに行った。

 

 その名前は書かないし、また実際に会えるはずもない。ようは自分が若いころに心酔したシリアルキラーの事件現場を、大人になってから『聖地巡礼』したのだ。
 もちろん、かつて感情移入したシリアルキラーに、ふたたびおなじ効能を求めようとするなんて、不健全きわまりないことは理解している。そんなことをするよりも、安室奈美恵のラストライブを観に行ったり、友だちと馬鹿騒ぎしたりするほうが、よほど他人から理解を得られるし、心も正しく浄化されるだろう。だいたいこんな行為は無意味なのだ。小学校の校庭に埋めたタイムカプセルを掘り起こしても、キラキラ光るものなんて絶対に入っていないし、そのとき好きだった女の子に数十年ぶりに会ったところで、やってくるのは幻滅だけ。いくら過去を再現しても、そのときの気分まで再現されることはない。
 だけど僕は小説家という、イノシシみたいになんでも掘り返す仕事をずっとやっていたし、なにより当時の自分は生活に疲れ切っていて、事件現場を見て回ることで、欠けていたものを埋められると本気で信じていた。
 応援の声がほしかった。
 たとえばそれはチャップリンの映画。海外旅行。お気に入りのぬいぐるみ。アイドル。ロックスター。高級時計。万年筆。『FGO』のSSR。夜中に回す洗濯機。卒業写真。「いいね!」の数。不倫や援助交際。アルコール。舶来品の煙草(たばこ)。大切なペット。チーズたっぷりのピザ。バイクのカタログ。などといった、自殺せずに明日を生きるためのアイテムがほしかった。そして僕にとってそれは、かつて自分が萌えたシリアルキラーだった。
 語り部であるところの僕は、まあつまり、そのていどの人間だ。
 自分自身を癒やすために、シリアルキラーにこだわる中年男性というものが、どれくらいおぞましいかなんてことは、『ゾディアック』(2007)や『迫り来る嵐』(2017)といった、そこらへんの健全な映画でさえ教えてくれるありきたりな事実だし、いまだにこの種の話をしている自分を恥ずかしいとも思っているが、それでも、こんなマイナーな場所にたどりついて、この文章を読んでいるみなさんなら、僕の話を理解してくれるだろうと信じて、わりと無防備に書き進めている。
 これを読んでいるみなさんもきっと、幸福で、不幸で、万能感や焦燥感をかかえているのだろう。うじゃうじゃと人間はいるけれど、かまってくれるやつはだれもいない。頭痛や腹痛を抑えこみながら日々を生きて、たまに吐く。このような諸症状に冒されている人たちの処方箋になるつもりはまったくない。僕にできるのは、ともに頑張っていきましょうと云うことくらい。なにかあったらメールしてね。
 では、そういうわけなので、
 みなさんもいっしょに歌ってくださいよ。

 
(02につづく)
 
引用文献 『神曲 地獄篇』ダンテ著 寿岳文章訳/集英社

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佐藤友哉(さとうゆうや)プロフィール

佐藤友哉(さとうゆうや)1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。