第一章 憲法って何?(2/4)

教科書代は、なぜタダか?

 私たちは普段、憲法の存在をあまり意識しないで暮らしています。しかし、実は私たちの日々の暮らしにたいへん密接に関わっているんですね。
 たとえば、僕が小学校に入ったのは一九五〇年代です。当時、教科書はお金を出して買わなければいけませんでした。先に触れたように憲法第二六条2項で義務教育は無償としているのに、小学校、中学校の教科書を国民に買わせるというのはいかがなものかという議論が起こりました。その結果、教科書を無償化するという法律ができたんです。それが「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」です。
 ある日僕が学校へ行くと、「今年から教科書は無料になりました。始業式の日に教科書を配ります」と言われました。突然教科書がタダでもらえるようになったのです。教科書が無償なのは今では当たり前かもしれませんが、これも憲法の考え方を大事にしましょうといって決まったことなんだ。
 このいきさつについては、文部科学省のホームページに、法律の提案理由として以下のような説明があります。

 

「教育の目標は、わが国土と民族と文化に対する愛情をつちかい、高い人格と識見を身につけて、国際的にも信頼と敬愛をうけるような国民を育成することにあると思います。世の親に共通する願いも、意識すると否とにかかわらず、このような教育を通じて、わが子が健全に成長し、祖国の繁栄と人類の福祉に貢献してくれるようになることにあると思うのであります。この親の願いにこたえる最も身近な問題の一つとしてとりあげるところに、義務教育諸学校の教科書を無償とする意義があると信じます。
 しかして義務教育諸学校の教科書は学校教育法の定めるところにより主要な教材としてその使用を義務づけられているものであります。(中略)
 そこで、このたび政府は、義務教育諸学校の教科書は無償とするとの方針を確立し、これを宣明することによって、日本国憲法第26条に掲げる義務教育無償の理想に向かって具体的に一歩を進めようとするものであります。
 このことは、同時に父兄負担の軽減として最も普遍的な効果をもち、しかも児童生徒が将来の日本をになう国民的自覚を深めることにも、大いに役立つものであると信じます。又このことはわが国の教育史上、画期的なものであって、まさに後世に誇り得る教育施策の一つであると断言してはばかりません」

 

 随分と古風で格式ばっているけれど、「憲法の規定をようやく守れるようになりました」という誇りが滲み出ているでしょう。

憲法の条文は暮らしに関係する

 また、私がとても好きな条文があります。これも私たちの生活と密接につながっています。

第二三条 学問の自由は、これを保障する。(日本国憲法)

 語呂がとてもいいでしょ。なぜなら五七五だからなんだ。ここで保障されているように学問の自由があるからこそ、私たちは、どんな勉強をしても構わないし、義務教育を終えても、高校や大学、専門学校に進むことができ、さまざまな教育機関で学問を研究することができるのです。今では当然と思われているかもしれませんが、戦前は自由に学ぶことができない状況がありました。研究内容によっては、取り締まりの対象になり、特高(特別高等警察)と呼ばれる組織に逮捕され、思想弾圧を受けたのです。その反省に基づいて、憲法に「学問の自由」が謳われ、権力にそれを守らせようとしているのです。
 あるいは年金制度です。日本には、私たちがいずれ年を取ると、国から年金がもらえる制度があります。制度がいつか破綻してしまい、年金をもらえないのではないかと心配している人もいるかもしれませんが、国は年金制度を継続し、具体的な運営方法を法律で決めています。なぜなら、この年金制度にも、憲法の考え方が大きく関わっているからです。

第二五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。(日本国憲法)

 私たちは、最低限度の文化的な生活を送る権利があり、国はその権利を国民に保障しなければいけないのです。この憲法第二五条に規定されている考えから社会保障制度が整備され、年金制度や、病気になって医者にかかるとき、医療費を全て本人が負担しなくてもいいような医療保険制度ができたわけです。
 さらに障害のある人には障害者年金があったり、働けなくなってしまった人やさまざまな理由で生活に困窮した人には、生活保護という仕組みがあったりします。一人の人間としてその尊厳を失うことのないぎりぎり最低限の生活が保障される制度が、憲法で規定されていることで、法律によって整えられているのです。
 ただし、この「健康で文化的な最低限度の生活」の状況も、時代によって変わっています。かつて、まだ多くの人たちの家にエアコンがない頃には、生活保護を受給する人には、エアコンはぜいたくだといわれ、認められませんでした。ところが多くの人の家にエアコンが設置され、みんながエアコンを持つのが当たり前のようになってからは、生活保護を受ける人の家にも設置が認められるようになりました。
 以前はテレビもぜいたく品だと言われて認められていなかったのですが、今では認められています。最近問題になっているのは自動車です。自動車は誰もが持っているというわけではありません。だから生活保護を受けている人が自動車を持つことは基本的にはできません。しかし、自動車がないと日常生活が困難な人もいますから、事情があれば認められるということになってきています。こうして一般の国民の生活レベルが上がることによって、「健康で文化的な最低限度の生活」の水準も変化してきているんですね。

働く上で知っておかなければいけない憲法と法律

 憲法に定められていることで、私たち国民が働く上で大いに関係があるのが以下の条文です。

第二七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3 児童は、これを酷使してはならない。(日本国憲法)

 この二七条の1項については後で触れますが、2項と3項に関わるのが「労働基準法」です。その第三二条で週四〇時間、一日八時間を超えて働いてはならないと決められています。それ以上働かせる場合は、第三六条です。働いている人の代表と経営者が話し合いをして取り決めを結ぶことで、週四〇時間の労働時間を超えて残業させることができる例外規定があります。これを三六条からとって「三六(さぶろく)協定」と呼んでいます。原則は、そもそも残業してもさせてもいけないのです。残業が当たり前と思っている人もいるかもしれないけれど、本来は例外なんだ。君たちも、いずれ社会に出て働くことになるでしょう。労働者として、働く者として、きちんと知っておかなければいけないことです。
「労働基準法」には、第六章で「年少者」についての規定もあります。ここで一八歳未満の子どもたちを働かせる上での規則が定められています。

第五六条 使用者は、児童が満一五歳に達した日以後の最初の三月三一日が終了するまで、これを使用してはならない。
○2 前項の規定にかかわらず、別表第一第一号から第五号までに掲げる事業以外の事業に係る職業で、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満一三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満一三歳に満たない児童についても、同様とする。(労働基準法)

 最初の表現はわかりにくいですが、要するに満一五歳に達した年度が終わるまでは働かせてはいけない、という規定です。
 でも、これでは映画やテレビで子役を使うことができなくなります。そこで、2の項目が続くのです。では、その子役は何時までなら働けるのか。これも定められています。

第六一条 使用者は、満一八才に満たない者を午後一〇時から午前五時までの間において使用してはならない。ただし、交替制によつて使用する満一六才以上の男性については、この限りでない。
○2 厚生労働大臣は、必要であると認める場合においては、前項の時刻を、地域又は期間を限つて、午後一一時及び午前六時とすることができる。
○3 交替制によつて労働させる事業については、行政官庁の許可を受けて、第一項の規定にかかわらず午後一〇時三〇分まで労働させ、又は前項の規定にかかわらず午前五時三〇分から労働させることができる。
(中略)
○5 第一項及び第二項の時刻は、第五六条第二項の規定によつて使用する児童については、第一項の時刻は、午後八時及び午前五時とし、第二項の時刻は、午後九時及び午前六時とする。(労働基準法)

 こうした規定があるので、テレビや映画の制作現場では、一三歳に満たない子どもに関しては、午後八時を過ぎて働かせることはできませんし、それ以上の年齢でも一八歳未満は午後一〇時を過ぎて働かせることはできないのです。僕が出演するテレビの番組でも、小学生が出演している場合は、午後八時には必ず番組の収録を終わらせるか、あるいは該当する子どもだけスタジオから出てもらうことになります。
 憲法の規定があるから、子どもたちの労働条件が法律で守られているのです。
 もう一つ、一人では弱い立場の労働者のために憲法では労働者が団結することを認めています。

第二八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。(日本国憲法)

 勤労者、つまり労働者が組合をつくって、会社と交渉する権利が保障されているということです。この二八条とかかわる法律として「労働組合法」があります。「賃金を上げろ」、「もっと休みを増やせ」など、さまざまな労働条件について経営者側と交渉することは憲法で認められているのです。
「その他の団体行動をする権利」の中には、たとえばストライキ権というのも含まれています。労働者側の要求が認められない場合、職場を放棄する、つまり働かないことがストライキです。労働者がストライキをした場合、働いていないわけですから、給料は出ません。労働者側も給料をカットされるという身を切るかたちになりますが、みんなが働かなければ、経営者は利益を得ることもできませんから困ります。労働者は自身の要求について経営者と交渉し、さらには交渉をするための団体をつくり、いざとなればその要求を認めさせるためのストライキをする権利が憲法で保障されているのです。
 ただし、公務員については、ストライキ権は認められていません。公務員は国民全体の奉仕者だから、という考え方です。でも、それでは公務員の給料はいつまでも変わらないのか、という疑問が出るでしょう。そこで、公務員の給料は、民間の給料の動向を見て、それに準じて金額を決めるという仕組みがあります。

憲法が定める三つの義務の意味は?

「憲法にはよく国民の権利ばかり書いてある。義務が書いてない。けしからん」といったようなことを言う人がいる。そういう人は立憲主義を理解していないということです。私たち国民には権利がある。その権利を権力者はきちんと守りなさいと決めたものが立憲主義における憲法なのだから、国民の権利がたくさん書いてあるのは当たり前のことなのです。
 それでも、私たちにも守るべき義務があります。三大義務と呼ばれるものです。さて、何だっただろう。覚えていますか? 小学校の社会科で習ったはずですが。大丈夫だよね。目が泳いでいないかな?
 まず、先に触れた憲法第二六条2項にある「教育を受けさせる義務」だね。
わりと多くの人が勘違いしていて、義務教育とは、「子どもには学校へ行く義務がある」ということだと思っている。そうではないよね。「学校へ行きなさい。義務教育なんだから」と言う親がいるけど、これは違う。子どもには、二六条1項にあるように「教育を受ける権利」がある。義務を負っているのは保護者です。保護者は、その保護下にある子どもに教育を受けさせる義務があるわけです。
 あと二つの義務のうち一つが先に触れた憲法第二七条1項で触れられている「勤労の義務」です。
 そして、もう一つは、「納税の義務」です。これは憲法第三〇条です。

第三〇条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。(日本国憲法)

 なぜこの三つだけを国民の義務としたのか。これらには大きな意味があって、この三つがなくなってしまうと国家を維持することができなくなってしまうからなんだ。
 まず、教育があります。国は子どもが教育を受けられるような環境をつくります。保護者は義務として子どもに教育を受けさせる。子どもは大人になったとき、その教育を元にして、社会に出て働けるようになります。
 実際に働くようになったら、その働きに応じた給料をもらう。給料がもらえたら、そこから国に税金を納めてもらい、国はそのお金で国の制度を維持することが可能になり、子どもに教育を受けてもらうための環境も継続できます。その結果、また次の世代の子どもに教育を受けさせることができるわけです。
 こうしてぐるぐると循環させていくことで、国家が存続できるようになります。要は国家を維持するために、君たちも義務を果たして協力してくださいということなのです。国家を維持できなければ、国民に文化的な生活を保障するなんてこともできなくなるでしょう。だからこの三大義務については、国民もそれぞれ協力してくださいと、憲法で決められているわけです。

著者プロフィール


池上彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト。名城大学教授、東京工業大学特命教授。1950年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。73年NHK入局。記者として災害や事件、消費者問題などを担当し、94年から「NHK週刊こどもニュース」初代お父さん役を11年間続ける。2005年にNHKを退職。フリーランスの立場で幅広く活動する。『そうだったのか!現代史』『そうだったのか!日本現代史』『高校生からわかる「資本論」』『これが「日本の民主主義」!』など、著書多数。
撮影:山下みどり