8 孤独な役者

 僕は孤独な役者でした。

 

 こういう書き方をすると、「ストイックだったんだなぁ」とか「芝居一筋だったんだ」とポジティブに捉えて下さる方もいらっしゃるかもしれませんが、簡単に言えば極端に友達の少ない『ぼっち役者』だったわけです。

 

 僕が演劇に触れたのは、高校時代に演劇部に入部したことがきっかけですが、その後、大学時代は演劇を専攻する学生として、卒業後もしばらくは学生劇団に所属し、その後もコントなんかをやっていたので、舞台に立つ機会はそれなりに多かったように思います。

 

 同時に、僕は役者をやることで、自分が『ぼっち』であると気付かされました。

 

 第1回のエッセイにおいて、自分は遅咲きのぼっちであったと書きましたが、それはこの時期に自分が『ぼっち』であるとはっきりと自覚をした、ということになります。

 

 それまでは、あまり自分を『ぼっち』だと思ったことはありませんでした。もちろん、クラスの皆が休み時間に外に遊びに行く中、教室でぽつんと読書をしていた僕は(まご)うことなき『ぼっち』だったわけなのですが、しかしそのことを深く考えることはなかったと思います。

 

 自分が『ぼっち』であることを自覚し、その生き方に深く後悔をした瞬間、僕は真の『ぼっち』になった気がします。

 

 学生時代、僕は同期の仲間が創った劇団に所属していました。
 小さな劇団にはありがちなことだと思いますが、劇団員はもとより、観客までもがほぼ誰かの知り合いでした。

 

 しかしそれは仕方のないことで、小さな劇団は知名度も低いですし、広報力も皆無に等しいので、自然と声をかけられる範囲は狭くなってしまうものです。

 

 そんな中でも、より多くの客を呼びたい。
 これはどの劇団でも同じ思いでしょう。

 

 演劇は観客がいてこそ成立するものですし、何より客の数はそのまま運営資金に(つな)がります。小劇団はどこもかしこも貧乏ですから、次の公演をするために少しでも多くの客を呼ぶ必要があるのです。

 

 劇団を構成する人員の大部分は役者ですので、集客もまた役者頼みになります。

 

 最近知り合いの役者に聞いたところによると、とある舞台のオーディションの際、Twitterのフォロワー数を尋ねられたことがあるそうです。
 つまり、この俳優はどれだけお客さんを呼ぶことが出来るのか、どれだけの繋がりを持っているのかが重要視されていることになるのでしょう。

 

 極端な話になりますが、どれだけいい演技をしようが、客が呼べない役者は(ほとん)ど価値がないと言っても良いのではないでしょうか。

 

 そして僕は客が呼べない役者でした。
 もちろん、だからと言っていい演技をしていたというわけでもないことは明記しておきます。

 

 公演前になると、劇団員は皆携帯電話と(にら)めっこして、片っ端から『友達』に連絡を取ります。
 僕もまた、彼らと同じように携帯電話を見るわけですが、僕の携帯電話には『友達』の名前が殆ど入っておらず、そこまで交友のない大学の同期の連絡先ばかりでした。

 

 しかも、僕の大学の同期は、当然ながら他の団員の同期でもあります。
 声をかけられる客が被ってしまっているのです。

 

 そうなると先に声をかけたもの勝ちの世界なのですが、僕よりも他の団員の方が彼らとの親交が深いため、どうしても声をかけられません。

 

 結果、「私は50人呼んだ」「俺は80人呼んだ!」と周りの団員が集客数で競い合っている中、僕だけが片手で足りるほどしか客を呼べていない(しかもそれは家族)、なんてこともザラでした。ややもすれば当日お手伝いをしてくれるスタッフよりも呼べなかったこともあるくらいでした。

 

 すると、どうなるか。
 周囲の視線は驚くほど冷やかなものになります。

 

 例えば稽古期間中、たびたび遅刻をしていた劇団員。そこまで上手とは言えないお芝居をする劇団員——様々なメンバーが居るわけですが、そんな彼らをぶっちぎって、客が呼べない僕が『劇団に恩恵を(もたら)さないランキング』のトップに位置することになるのです。

 

 肩身が狭いことこの上ありません。
 しかし何よりも(つら)いのは終演後に訪れる魔の時間――『客出(きやくだ)し』と呼ばれる時間帯でした。

 

『客出し』とは、終演後に出演者たちが劇場のロビーまで出て行って、来場者をお見送りする行為なのですが、その時に少しばかり談笑をするというのが主な目的になっています。

 

 そして、客を呼べていない僕は、当然誰とも(しやべ)りません。

 

 左右の役者たちが「久しぶり!」と笑顔で挨拶をし、ガッチリと握手をしている中、僕は一人、「ありがとうございました……」と(つぶや)き、目の前を通り過ぎる客に頭を下げることになります。

 

 これがまあ、辛いのなんの。

 

 だから、僕は楽屋に戻るのが誰よりも早かったです。
 そして楽屋で一人、今日の芝居はどうだったかな、なんて一人反省会をしたり、あるいは開演中に僕の携帯電話に届いていた『ごめん、急な用事で今日いけない! 頑張ってね!』という謝罪メールに対し『気にしないで!』と返信をしていました。

 

 自分が『ぼっち』であるとしっかり認識させられたのは、この時です。

 

 僕は客を呼べない。
 僕は劇団に貢献出来ていない。
 僕には役者としての価値がない。

 

 この時ばかりは、『ぼっち』であることはマイナス要因であるのだと痛感させられました。もっと社交的だったら良かったのに、もっと、上辺だけでも『友達』と呼べる存在を作っていれば良かったのに、とそれまでの自分の生き方を後悔したものです。

 

 舞台に上がっていた数年間、僕はずっと『友達』が少ないことに頭を悩ませ続けていました。
 携帯電話に入った連絡先の多寡(たか)が、そっくりそのまま役者としての価値、ひいては自分の存在価値だと思い込んでいたのです。

 

 しかし、当然ですがそんなことで自分の価値が決まるものではありません。
 その場所において真価を発揮していないというだけの話なのです。

 

 僕はその後、舞台の道を諦め自室に(こも)り、せっせと小説を書き連ねるようになりましたが、その時初めて『友達』から解放された気がします。

 

 もう、必死に携帯電話の連絡先を睨みながら、長年音信不通だった相手を探し出し、『久しぶり!』から始まるお決まりの定型文を送らなくても良いのです。

 

『久しぶり! 元気にしてる? 今度公演をやることになったんだ。久しぶりの連絡がお知らせでごめんね!』という無駄に元気な文章を公演の度に次から次へ送ること、そして送ったメールに全く返信がないことや、『宛先不明』という意味の英文で返ってくる(さま)(なが)めることが、どれだけ自分の心に圧をかけていたか、ようやく気付いたわけです。

 

 あの時期、僕は自分が『ぼっち』であることを後悔していましたが、今ではさほど後悔していません。

 

 適材適所、という言葉がありますが、『ぼっち』に適した場所も少なからずあるのだなと感じる今日この頃です。

 
 

教訓
『友達』の数に惑わされないためには、
真価を発揮出来る場所を見つけるべし──賽助

毎月第2、第4火曜日更新

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賽助プロフィール

賽助(さいすけ)
東京都出身、埼玉県さいたま市育ち。大学にて演劇を専攻。ゲーム実況グループ「三人称」のひとり、「鉄塔」名義でも活動中。また、和太鼓パフォーマンスグループ「暁天」に所属し、国内外で演奏活動を行っている。著書に『はるなつふゆと七福神』(第1回本のサナギ賞優秀賞)『君と夏が、鉄塔の上』がある。
●「三人称」チャンネル
ニコニコ動画 https://ch.nicovideo.jp/sanninshow
YouTube https://www.youtube.com/channel/UCtmXnwe5EYXUc52pq-S2RAg
●和太鼓グループ「暁天」
公式HP https://peraichi.com/landing_pages/view/gyo-ten



山本さほプロフィール

山本さほ(やまもと・さほ)
1985年岩手県生まれ。漫画家。2014年、幼馴染みとの思い出を綴った漫画『岡崎に捧ぐ』(ウェブサイト「note」掲載)が評判となり、会社を退職し漫画家に。同作(リニューアル版)は『ビッグコミックスペリオール』での連載後、単行本が2018年に全5巻で完結した。その他の著書に『無慈悲な8bit』『いつもぼくをみてる』等。Twitter上でも1頁エッセイ漫画『ひまつぶしまんが』を不定期に掲載。